ハイキュー‼︎第322話「勝ち」

表紙&巻頭&大増34P。感謝が止まりません。先生のご希望なんじゃないかなと思ったらやっぱりそうだった。すごいよねー。読者に読ませるところまで含めて作品をデザインなさっていて、本当にかっこいい。

 

 

巻頭カラー、170話のカラーを思い出しました。日向、本当に大きくなったね。装備も武器もすごく立派なものになって、表情もすっごく頼もしくなった。「勝負事を本当に楽しむためには強さが要る」って言葉の意味が改めてすごくよく分かるなー。烏野も音駒も本当に強くなったからこそこの運命の試合が実現したし、こんなにも楽しいものになってる。そして研磨が左手でナイフを持っているのに気付いてドキッとした!

 

 

初っ端から続くラリーの熱がものすごい。これ言語化できないんだよ〜。お互いがお互いの最高を上回っていくみたいな、そういうプレーが本当にずっとずっと続いてる。研磨が日向を「ともだち」と言ったことにちょっと驚いて、ああそうなんだともだちなんだな、と考えたところで、次のコマでは喉元にナイフを突きつけ合っている。こんなともだちがいるか!笑 いるんだよな〜〜。相手の喉元にナイフを突きつけ、それでも「普通にともだち」だって言えるその感覚を共有している2人なんて、まごうことなき「ともだち」だよね。そして少し遡ると、その前のページで日向のスパイクを受ける研磨のシーンから、この2人が「ともだち」として共有しているものっていうのがバレーボールの文脈の中で描かれている。眼前にボールを捉えた研磨の表情なんて、まさにそれ。目の前に迫っているのは本当にボールなのかと思うくらいに、戦いの中にいる人の顔をしてる。そんな風にバレーボールの中で戦う、殺し合うのを本気で楽しんでる、そういう関係性を「ともだち」って2人は呼んでるんだよな~。

 

 

そしてそれを受けた研磨と、その研磨を撮るカメラマンという絵のミスマッチ感も本当にいい。試合を撮っているカメラマンがいるのは別に普通のことで、本来ミスマッチなんてことはないんだけど。カメラに映るバレーボーラーと、コートの中に実在する研磨っていうのに乖離があるというか、外から見るのと内から見るのとで、この場面のこの研磨のプレーに乗っかっているものが違うんだよね。それは今週のラストにも重なる気がする。

 

 

疲労の中で、研磨は迷う。というか、頭もきっとすごく疲れて、いつもなら思考が及ぶはずのところが及ばなくなってしまっているみたいな。そしてそれを切り開いたのが、黒尾であり、彼らの十年間だった。もーーーこれにやられてしまう。1コマだけ挿入された回想では研磨が上げた合わないトスに黒尾が腕を伸ばしている。たった1コマで、この言ってしまえば下手だった・失敗していたころのことが回想されているからこそ、ここから2人がたどった十年の積み重ねの中で2人がいっしょに大きくなってきたこと、着実に攻撃を進化させ強くなってきたことっていうのがすごく感じられて、本当にすごい。彼らの10年がこの攻撃に詰まってるんだなあ。

 

 

その2人の渾身の攻撃を西谷が上げ、日向の攻撃に繋ぐ。立ちはだかる音駒のブロック、そして回想される木兎さんの「必殺技」。フェイントだ、と、思うよな~!!誰もかれもがそう思った。その中で、1人確信している、研磨。

 

 

が、研磨の「確信」を越え、ボールはコート後方へ打ち込まれる。しかしそれでも研磨は必死に手を伸ばす。これがすごい。確信していたものを裏切られてなお、不格好な体勢になりながらも腕を伸ばした。これって研磨がこれまでやっていた「ゲーム」と明らかに違う。スポーツだ。

 

 

ペチャ、と倒れる研磨。そして言う。ついに言った。もうたまらなくなって、涙がじんわり出てきてどうしようもなくなってしまった。

 


「言った」というとやはり少し違うのかもしれない。「別に、以外のこと言わせる」と言った日向と同じくしてこの瞬間を待っていた私たちもまた、日向が研磨に「言わせる」のをずっとずっと想像していたんだなと思うんだけど、現実はそうではなかった。現実は、日向が研磨から言葉を引き出したというよりもっと、無意識のところからぽろっと零れ落ちた。

 

 

さらに言えば私を含めた多くの人が想像していたものってきっと、試合の後、日向が研磨に尋ねるのに対して研磨が何かを言ったり言わなかったりするのではないかってことだと思う。だけど実際はそうではなく、試合の中でそれは生まれた。第3セット、互いの「最高」が互いを上回っていくような熱いラリーの中で、皆が試合に没入していた。その中で、研磨と黒尾の「最高」の攻撃もまた、西谷の「最高」によって越えられた。そしてそこから日向に上がった攻撃。研磨の「殺った」という確信は再び、日向の「最高」によって越えられてゆく。研磨も気づけば同じようにこの試合に没入し、そしてどれだけ攻略の手を進めようと思考し分析を続けても、相手は何度だってそれを越えていく。頭も身体も疲労のピーク。そういう中で、意図せずぽろっと零れ落ちてしまったんだなあ。

 

 

これまでの研磨にとってバレー自体は目的ではなくて、日向というゲームを楽しむための手段というのがバレーボールだった。研磨にとってはバレーじゃなくたっていいけど、日向とやるにはバレーしかない。だからバレーだった。それがこの時初めて少し変わって、この試合自体にすごくのめり込んでいる。それは木兎さんの言う「その瞬間」のような、劇的で世界がひっくり返るようなものではないのかもしれない。だけどこんなふうに試合を楽しむ研磨を見られたのがやっぱりすごくすごく嬉しいし、黒尾や日向がこれを聞いていたことも、嬉しい。




 「別に、以外のこと言わせる」という「日向と研磨の話」の中に「黒尾と研磨の話」がちゃんと存在していたところも本当に嬉しくてたまらなかった。日向は研磨にとっていつだって面白く新しく居続けたし、そういう日向が研磨のこの言葉を引っ張り出したのはもちろんそうなんだけど、研磨とバレーをずっと繋ぎ続けたのはほかの誰でもない黒尾で、それって絶対に引き離せないもんね。日向にはあの日からずっと聞きたかった言葉であったし、黒尾にとってもまた、ずっと聞きたかった言葉でありながらも決して聞きたいと口にすることのなかった言葉だったんだろうと思う。その日向と黒尾がそれぞれの研磨との歴史の中でこの言葉をかみしめる瞬間というのが、本当にたまらない。

 

 

クエスチョンマークを浮かべる実況解説者と、観客たち。現実の春高の試合をTVで見ていてすごく思うけど、そんなことまで知ってるんだなとか伝えるんだな、と思うようなことまで実況解説者がしゃべっているときってわりとあって、それこそチームのこの2人は小学校からずっと一緒にやってきた幼馴染です、とか。だけどこのシーンではその実況解説者すら置いてけぼりにしてる感じ。それがもうめちゃくちゃ好き。当たり前のことだけど彼らは視聴者や観客が消費する「感動の物語」の登場人物なんかではなく、それぞれの人生を生きている人間で、外野が知りえないところに、こういうドラマがある。



こんな日が来るとは、が詰まった回でした。本当にすごい。嬉しくて、なんだか少しさびしいなあ。楽しいとつぶやく研磨があまりにも美しくて、何度も何度も読んでしまう。本当に宝物みたいな回でした。