ハイキュー‼︎第338話「小さな巨人決定戦」

ガールズの会話が若干ズレてるのになぜか噛み合っててかわいい。そして月島兄に駆け寄ってくる人物。もしかしてこれは!?



鴎台。言わずもがなの星海くんだけではなく、それ以上に厄介なのがブロック。「伊達工以上」と表現された時に伊達工の格が落ちるのではなく、あの伊達工よりも!?って鴎台がいかにヤバいか分かるっていうのはこれまで伊達工についても描写が積み重ねられてきたからだな〜と思う。特に春高直前に練習試合をやったのが効いてくる。



そしてついに、日向は「小さな巨人」に会う。7周年の今、ついになんだなあ〜という感慨がすごい。走って駆け寄っていく日向を見てちょっとじんわりきた。のが、現在の「小さな巨人」は他にやりたいことがあってバレーをやめていて、当時も特に声が掛かったりはしなかった、という事実に、もうもうひれ伏すのみ。めっちゃハイキューだ……!この漫画の主人公である日向、ひいてはこの物語そのもののルーツというか、1番根っこのところにいた「小さな巨人」でも当時声が掛からなかった、という事実に少しピリッと来て、だけれどもそもそも彼はやりたいことがあったから自分の意思で現在別の道を選んでいて多分すごく楽しく過ごしている(と思われる)、この世界にあるのはバレーボールだけではない、そして誰もがそれを選んだり選ばなかったりすることができるという希望。そのどっちもが本当にこの漫画らしいなと思った。



日向に大きな影響をもたらしたうちの1人である影山は「毎日毎日毎日バレーやってきた」子で、俺が何かにゼツボーするとしたらバレーができなくなったときだけだとそう言う人物で、そして日向のルーツである「小さな巨人」は「他にやりたい事があったし高校出てからはやってない」と言う。きっと日向は今ちょうどその2人の真ん中にいるんだろうと思う。高校までバレーをやることと、高校の先でバレーを続けることって多分意味合いがちょっと違うんだろうな。



日向に「がんばれ新小さな巨人!」と声を掛ける「小さな巨人」、良かったなあ。ああこの人は本当に今はバレーをやっていない人だ、という感じとか、そこにウェットなものがなにひとつ乗っていないんだろう、とか。「過去」に未練とかはきっとなくて、だけど過去の自分を見て始めたという母校の後輩にこうやって呼びかけるくらいには高校時代のことがいい思い出の1つでもあって、という。



あんまがっかりしてないという日向。きっと中学時代バレーを始めたばかりの頃や、高校入学したての春に「小さな巨人」に会っていたとしたらこういう言葉は出なかったんじゃないかな。「小さな巨人」って半分概念のようなものに自分を重ねて同じようになりたいと憧れてバレーを始めて、でも自分の身体で勝ったり負けたりを経験したことで、当時見た「小さな巨人」の姿はルーツではあっても「未来の自分」をぴったり重ねる対象ではなくなったんじゃないかな、と思う。



すごく爽やかな気持ちになる回でした。「小さな巨人」はいわば舞台装置のような存在だと思っていたので、まさか出てくるとは、と驚いて、だけど彼自身の人生の存在も、それがバレーとは離れたところにあったこともそこにウェットなものが乗っていないところも、全てが本当に良かった。高校時代に後悔を残した明光が今社会人バレーをやっていることとか、全国出場した/全国出場の経験がある北くんや天童がバレーは高校までと明言していることとか、実際に高校バレーをやめた先を今生きている「小さな巨人」がいることとか、その全てが本当に大好き。鴎台戦、わくわくしてきた〜!楽しみ!

ハイキュー‼︎第335話「夢中」

センターカラーのやっちゃんがかわいい~!古舘先生の描くお洋服は、今の高校生っぽさをすごく感じられるのが大好き。

 

 

木兎さんの回想。小学校の時のクラブチーム・中学校は地元のところに通ってたっぽいのかな。「丑」という地域。1人モチベーションの高い選手についていけない部員が出ることは、そう珍しいことではないと思う。木兎さんは、そうして近道をした部員たちを咎めたりということはしなかったけれど、それは強いからとか優しいからというわけではなくて、「自」と「他」の境界をしっかり分かっていたからなんだろうと思う。それは夏合宿の時に自主練に誘った月島に断られたときにさっと引いたところだとか、「たかが部活」と言った月島に俺はそう思わないけどそれも正しいと思うと答えたのもそうだった。ただ夢中で走って、ふと後ろを見たら誰もついて来てはいなかった。その時の表情に悲しみとか怒りとか戸惑いとかそういう感情の動きは読み取れなくて、「ついて来ていない」という事実だけを抱えてまた走っていく。これがこの時限りの出来事では決してなく「誰も木兎さんについて来れない」チームで彼が3年間バレーボールをやっていたことを思うと、少しつらい。きっと自分のことをそんな風に憐れむことなどしないであろう木兎さんに対してそんなことを思ってしまうのは失礼なのかもしれないけど、1人では勝つことのできないバレーボールで、木兎さんはこのチームで思うように「勝利」とか「楽しい」とかを追及できたのかな、と考えてしまった。

 

 

丑三つ時、真夜中にひとりであった木兎さんは、「梟谷」という同類のものが集まってくる環境で決してひとりではなくなった。木兎さんはあの中学時代を経て尚、きっとずっと変わらず同じようにいて、梟谷に集まった子たちもまた、木兎さんとぴったり同質ではなくても、気を遣って特別扱いをしたり距離を取ったりすることなくごく自然に同じ方向を向いて歩んでいける、そういう環境に出会うことができた。「強豪校」ではそうして皆が高いモチベーションを持って同じ方向を向いて歩んでいけることは当然と言えば当然かもしれないけれど、木兎さんが中学時代の(多分多くの人の目に留まる戦績を収めているとは言えないであろう)チームから「強豪校」に進めたことは、もしかしたら当たり前ではなかったのかもしれない。小学校から中学校、そして高校と、環境がどうであっても変わらずバレーをやってきた木兎さんは、高校が終わっても変わらずバレーを続けると言っているけれど、この梟谷でやるバレーが木兎さんにとって確かに特別なものだったんだなと、「もっと皆とやりたかった」という発言の重みをすごく感じた。この先どんな未来に進もうと、それが恵まれた環境であってもそうでなくても、隣に立つ人がいなくても後ろについて来る人がいなくても、木兎さんは決して変わることなく、あの中学時代の一場面であったようにただ走っていく人なんだろうと思う。だけどだからこそ、「もっと皆とやりたかった」と、今を思う木兎さんの言葉が聞けたのが、改めて嬉しいなと思えた。

 

 

 

リバウンド。まさかまさか、赤葦くんから教わったものだったとは。「リバウンド」って、やはり日向と木兎さんの「師弟関係」のきっかけとなったやりとりがすごく印象的。「リバウンド」は日向が自分自身の戦い方を見つけていく上でも大きなものだったんじゃないかと思うけど、(「下っ端1年のただのミスプレー」と本人は言うけれど)赤葦くんがこういった技術を身に着けていたこと、そして「楽しい」を追及したい木兎さんが誰であろうと何であろうと手を伸ばしてあらゆる戦い方を自分のものにするという素直さと貪欲さを持つ人物であったこと、そういう2人によって、この「リバウンド」が生まれていたのだなと思うと胸が熱くなる。

 

 

赤葦くんの言う通り、一見アバウトなように思える「楽しい」を考え、叶えていくことは本当に難しい。分かりやすい「一発」だけではなく、リバウンドにフェイント、プッシュ…と、木兎さん自身もそのプレーも一見非常に華やかであるように見えて、そこに至る過程を思うと、実際は地道でひたむきな練習の末に獲得されたものなんだとすごく思う。そんな木兎さんに引っ張られるように、桐生もまた目の前の相手・バレーボールに夢中になっていく。

 

 

ついに木兎さんのルーツのひとつを目にして、すごくドキドキした。と共に、どんどん彼らのことが語られていくことにさびしさというか、まだ全部知るのは早いよ~もうちょっと後でいいよ~みたいな、ワガママだけど。笑 そんな感じです。モノローグを口に出さない赤葦くんと、モノローグすらしない木兎さん。2人の関係性について何か展開が見られたらうれしいな~。

ハイキュー‼︎第334話「ネガティヴ限界突破」

とにかく木兎さん。会場中を味方につけて、それこそ「世界が俺に加勢している」状態。会場を沸かすプレーの「華」と、またその大盛り上がりの会場の空気を全部自分のエネルギーに替えて更にパフォーマンスを向上させていく様子がやはり「スター」そのもの。読んでいてもぐわ~っとテンションが上がって、ワクワクする感じ。何より木兎さんが生き生きとして本当に楽しそうにプレーをしているのがいい。

 

 

そしてその木兎さんの裏返しとしての、桐生。怯えだとか焦りだとかに縛られることなく、100%純粋に「楽しい」とプレーをする木兎さんはやはりすごいし、きっとそんな風にやれる人のほうが稀だろう。だけど「お前がこわい」と素直に言葉にできることも、チームの中でそれをこぼせることも、仲間への揺るぎない信頼を「自惚れ」に繋げようという勇気を持てることも、やはりすごいんだよ。ネガティヴな人がある時から突然自分に100%自信を持てるようになるなんてことはないし、自分を鼓舞する方法はそれだけではない。自分に自信がなくても、自分の能力を信じられなくても、「仲間」に対する信頼だけは確実で、その信頼できる仲間が「お前は全部やってきただろ」と言い自分にボールを繋げてくれる。じゃあその仲間の信じる「自分」を信じてみよう、っていう流れが本当にいい。コートに6人選手がいるというのは単に役割や責任の分担ではなくて、人間同士の関係性やコミュニケーションや精神的なやり取りがあるからこそ生まれるものがある、それは良くも悪くも。ってすごく当たり前のことなんだけどすごく実感した。

 

 

で、こんな風に今考えても仕方ないようなことをつい脳裏に浮かべてしまってプレーを邪魔するノイズみたいなものだとか、誰かと自分との比較から生まれる嫉妬や羨望や劣等感だとかをまっさらにするわけではなくてもこうやって振り切ることのできた桐生を見て、やはり先週の赤葦くんのことを考えてしまうんだな~~。2人がこういった「ノイズ」や「誰かと自分」っていうことについて、非常に似た状況にありながら、それをチームと共有した桐生と内省に留めた赤葦くん、という違いも気になるし、そこから導き出した結論が「自惚れろ」と「いつも通り」であったこともそう。前の記事でも言ったように「いつも通り」が悪いわけでは決してないし、「いつも通り」の強さを知っていることも素晴らしいことなんだけれども。今週の「自惚れろ」に至る思考がどんなものだったかって見た後だと余計に、「いつも通り」という選択の中にどれくらい「自分」があったか?と(すごく抽象的な言い方ですが)気になってしまう。それは2年生と3年生の違い、セッターとエーススパイカーの違い、ということもあるかもしれないけど。

 

 

そして今週白布が赤葦くんに言及したことの意味を考える。まず「大エース」にトスを上げるセッターとして、というのがそう。更に言えばその中でも大エースを立てるセッター、という方向に100%振り切ったのが白布である。白布の「1セット目は何かイライラしたけど2セット目はいい」という発言は「同族」としてのもので、大エースがいるにもかかわらずセッターがアレコレやって空回りして何やってんだよという苛立ちがあったのが、立ち直った赤葦くんが2セット目で見せている「いつも通り」のプレーについては評価しているように思う。白布の考える、「大エース」のいるチームでのセッターとして「正しい」振る舞い方に合致した動きを赤葦くんが第2セットでは見せているということなんだろうと思うけど、このシーンが描かれた意味とは?と考えたとき、333話の赤葦くんの出した結論の「正しさ」を担保する・肯定する役目を白布が担ったのか、あるいは、赤葦くんが白布ほど「振り切って」はいないことや、桐生の流れも考えたとき、本当に「2セット目はいい」のか?という引っかかりになっているのか、どちらもあり得そうに思えてきて難しい。というか、私自身が赤葦くんの物語にまだ展開があるんじゃないかあったらいいなとやはり考えてしまうので、後者のほうの可能性をつい求めてしまうというだけかも。

 

 

うーん。やっぱり333話に引きずられっぱなしの感想になってしまった。「ははは」もまあきつい。今の赤葦くんはもう「俺達が世界の主役」とは言わないんだろうな、と。赤葦くんのことばかり話してしまったけど、狢坂、本当にいいチームですごく読み応えのある回でした。

ハイキュー‼︎第333話「タスクフォーカス」

332話、「俺が影山や宮侑のようであれば」という赤葦くんのモノローグがあまりにも苦しくて、だけど彼の成長に向かうための最後のステップなのだろうと、救われるだろうと読んだ今週333話。ぐるぐると考えたけどいろいろなことが分からないままなので、感想ではなくぐるぐる考えたことを書き連ねます。

 

 

背中に背負った「一球入魂」という横断幕。本当は想像よりずっと理性的な言葉だよという監督の話と共に、赤葦くんはコートを見つめる。そして言う、「なんて烏滸がましい…!」、そして「俺ごときが試合をどうこうしようなど」と。こんなに苦しい振り切り方があっていいのか。「だって赤葦だもん」と送り出され、木兎さんの言った通り赤葦くんは「短時間で冷静に」戻った。いつも通りに、「次自分にできる事とすべき事」をした。「スター」にトスを上げる冷静で安定したセッターとしてもっとも「正しい」形に収まったように見える。赤葦復活‼…そうなんだろうか。

 

 

確かに「復活」した。元の赤葦くんに戻ることができた。この試合の赤葦くんは、「自分が」試合をどうこうしようと「しすぎて」いたのは確かにそう。そこに「俺ごとき」「いつも通りを」という視点が入ることの意義も分かる。試合はチームでやるものだから、という意味で得点も失点も個人の責任ではないしエースが決められないのを赤葦くん個人が・「俺ごときが」背負うものではない。そういう意味で「俺ごときが試合をどうこうしようなど」という気付きがあったのはやはりいいことである。そしてなぜ今回彼がそう背負ってしまったかと言えば「負けられない戦い」だと意識しすぎていたからというのがあったわけで、そこを「いつも通り」やればいいだけ、と軌道修正することもまたやはり大切なことである。のだけど!これらは今の、この試合の赤葦くんのアレコレへのアンサーであり有効な視点ではあるけれども彼が根底に抱えているものに対して何か働きかけるようなものではない。というかむしろそちらへ一直線に突き進んでいったようにさえ見える。というのは赤葦くんがなぜだか自分自身を過剰に低く評価していて、また、単に自分はこれを飛び越えることができないというのではなくそれ以上に自分はこれを飛び越えていこうという「思い切りすら持てない」、という側面に対して、「俺ごとき」「いつも通り」はそれらを解決するようなものには全くなっていない。というより更にこれを深めるものになっているんじゃないのかなあ。

 

 

実際赤葦くんはコートに戻ってから、「俺ごとき」「いつも通り」という視点をタスクフォーカスという具体的な方策によって実現し、「良いプレー」を見せている。正しいのかもしれない。チームで戦うとは何かということを考えた時、ずっと勝ち続けてきた今までの通りにできることは正しい。それに何より赤葦くん自身が、「スター」や「この人達」の中で自分がプレーをするという時、「いつも通り」を遂行していくということが最も正しいと考えるのかもしれない。その「正しい形」が「俺ごとき」「烏滸がましい」の上に成り立っているものだとしても、赤葦くんはそれを苦しいことだとは思わないのかもしれない。それが私はもうめちゃくちゃに苦しいし悲しいしさびしいんだよ。例えそれが自分を過剰に低く評価するようなものであったとしても、今すべきことと自分とを見つめてある方向へ振り切って、コートに立ち堂々とプレーしている人のことをそんなふうに苦しいと思うのは失礼なことかもしれないけど、それでも、そんな振り切り方ってさびしいよって思ってしまう。

 

 

「俺ごとき」とか「烏滸がましい」というワードセンスが少し独特なだけで、実際はそれほど卑下しているわけではないのか?とかも考えたけど、「この人達と同じであるかのように思ってたんだ」とか「木兎さんをコントロールした気になっていた」の文脈であることを思うとやっぱり言葉通りの意味なんだと思う。一見「視界が広いなあ」って冷静に外から状況を見た上で的確に分析をできているように見えるけど、赤葦くんが「推薦で強豪校に来た2年副主将セッター」で影山からも一定の評価が為されていることを考えても彼は客観的に見て一定以上に能力の高い選手だと思うし、赤葦くんの認識はやっぱりネガティブに傾きすぎているように思える。

 

 

だって、木兎さんをコントロールしてたでしょ。その前のセリフで木兎さんだけではなくメンバーみんなとの間にも線を引いているあたり、「コントロール」まではしてないんじゃない?みたいな論点でもなさそうだし、「木兎さんの調子の波への対応」全般について言っているように思う。いやコントロールしてたでしょ~~。そして「この人達と同じであるかのように思ってたんだ」では木兎さんだけではなく他のメンバーみんなとの間にも何か差を感じているようで、これに関しては何を指してそう言っているのかがどうも分からない。あまりにも自分を卑下しすぎていて実際には存在しない差を見出しているから、赤葦くんだって持っているものを彼が自分だけは持っていないと思い込んでいるから、読者には何のことを言っているのか分からなくて当然なのではないかとか考えたけど、それにしたってそもそも何について話していて何について自分を卑下しているのか全く見えないんだよな~。自分とメンバーとの間のどんな差(に気づいたこと)が赤葦くんを「俺ごときが試合をどうこうしようなど」→タスクフォーカス、に導いたのだろうか。

 

 

 

作中で引用されていた本「バレーボールメンタル強化メソッド」では、「自分がベストであり続けるために何をするのかを考え、やるべきことに集中(タスクフォーカス)することが大切である」という文脈でタスクフォーカスについて書かれている。この本はあくまで参考であるから、この記述がハイキューにもまるまる同じように当てはまるわけではないにしても、「自分がベストであり続けるために」という視点は印象的だった。今の赤葦くんは自分のベストを追求していくというよりは「チームのベスト」であり「スターのベスト」を追求する、という比重が大きいように思う。勿論チームが・「スター」がベストを尽くすことが自分自身のベストである、っていうのはあるだろうしそれもおかしなことではないけど、赤葦くんが「嫉妬しますね」の時に見ていたものは「スター」にトスをあげる選手ではなく、ただの一選手ただのセッターとしての自分だったと思うし、「スター」を立てることに喜びやなんかを相当に感じているのは勿論あるだろうけど、あの時赤葦くんが見ていたもの、嫉妬した先にもまた赤葦くんのベストのひとつがあったんじゃないかって思う。そうだとするならば、その嫉妬を試合の外に置いて、「いつも通り」を遂行していくことで100%スターを立てる役割に徹している(それも苦しみながらなんてことはなく、ごく自然に)の、本当に本当にそれでいいのかって考えてしまう。

 

 

私が赤葦くんの「嫉妬」にどうしてもこだわってしまうのは、それが単に技術やセンスだけではなく「やってみようと思い切れること」にも掛かっているから。そこには少なからず「自分も思い切ることができたら」という思いがあるように見えるし、それって試合の中でしか向き合うことのできないものなんじゃないのかな。「やってみようと思い切れる事に嫉妬しますね」≒「自分も思い切ることができたら」が試合には不要なもので自分のやるべきこと・できることをやるのだ、という結論は、チームの勝ちを考えたらいいことかもしれないけど、赤葦くん個人の選手としてのステップアップを促すものにはなってない。自分に対して事実に即していない過剰にネガティブな評価を下した末に「今やるべきことすべきことに集中(タスクフォーカス)」という結論に至ったことも含めて、「スター」「チーム」を前にして、「嫉妬」という赤葦くん個人の事情をコートの中から徹底的に締め出したことは、赤葦くんの競技人生において本当に良かったことなのだろうか…と考えてしまう。

 

 

さっと切り替えて「タスクフォーカス」をやれることは勿論すごい。それを蔑ろにしたいわけじゃないし、その結論に至ったことはそれはそれでいい。ただ、それが事実よりずっとネガティブな自己評価を突き詰めた先の結論であったことがさびしい。とにかくこれ。この先は私のエゴだけど、赤葦くんは赤葦くん自身が考えている以上にすごいことをやっているということを誰より自分に知っていてほしいし、そのことに自信を持っていてほしいって思う。更に言うなら、結果がどうなるに関わらず「やってみようと思い切る」ことができると信じてほしいしその先が見たい。

 

 

 

ここで2週空くの本当につらいな!願わくば、この春高の後3年生のいないチームを引っ張っていくことになる赤葦くんが、この先どんな戦い方をしていくのか楽しみにできるような展開が見られるといいのですが。

 

 

(2019.01.11am)

(2019.01.11pm

ハイキュー‼︎第332話「スター」

木兎さん!とにかく木兎さん。もうあんまりにもかっこいい。1ページ目からやられる。木兎さんの活躍っぷりがこれでもかと見られる冒頭7ページ、とにかく華やかでかっこいい。試合がぐっと盛り上がったのがすごくよくわかる。そしてサーブを打つ木兎さんを見上げる赤葦くん、という絵があまりにも胸に来る。同じコートに立っているはずなのになぜだかそうは感じられなくて、何というかさびしい。ノータッチエースを決めた木兎さんの誇らしげな横顔と、ただただ「すごい」とつぶやくだけの赤葦くん。木兎さんはメンタルの波に左右されがちな人(だった)だけど、きっと同じくらいに自分の力で自分を持ち上げて、自信を持って、自分のことを誇れる人でもある。

 

 

上げる小見。いいなあ~!研磨の言葉にそうそうって頷くばかり。が、赤葦くん。あまりに思いが入りすぎてこれはヤバイフラグ…と思ったらやはりホールディング。あーーーここからのモノローグがあまりに苦しい。読んでいてこちらまで苦しくなってしまうような話っていうのはこれまでも何回もあったんだけど、ああ「推し」ってこういうことなのかなって今回ちょっと分かった。読めなくなっちゃう。稲荷崎戦とか音駒戦を見ていても、この大会で一回り大きくなった選手たちは一度メンタルがどん底に落ちてから周囲の助けを借りて、そして最後には自分の力で上っていくのが本当にかっこよくて、カタルシスもものすごくて、メタの話をしてしまえばこれは赤葦くんが成長するための最後のステップだと、分かってはいるんだけど、それでもあまりに苦しかった。

 

 

赤葦くんね~。私はやはりあの「嫉妬しますね」がずっと気になっていて。

 

pero2pero.hatenablog.com

 

彼が「上手い選手」に言及するのは何もこれが初めてではなくて例えば夏合宿の影山のトスを見たときの「俺には技術的に無理です」なんかもあったんだけど、上の記事にも書いたけどやはりそれとは違ったんだよね。限られた時間の中で自分に合った方法でやるべきことを模索していくためには、技術的に可か不可か、という判断を下すことはやはり大切なことだし。だけど「やってみようと思いきれることに嫉妬」はその前の段階でやめちゃってる、というかやめちゃってすらいないというか。選んでいないから。だからずっと気になっていて、ああなんじゃないかこうなんじゃないかって考えていた。くせに、こうやってはっきり描かれたものの生々しさがあまりにも辛かった。誰誰のようであればと、自分からも切り離してしまうのか。そこまでだったのか、と。

 

 

いつでも、どこまでもフラットな木兎さん。「絶対に負けられない戦い」とか思ってない?に続く言葉が「今まで負けてもいい戦いはあった?」であること。やさしいなと思った。やさしいというと少し違うのか。木兎さんは赤葦くんを「正す」のでもましてや「助けてあげる」のでもない。わかってるよな、という信頼があるだけ。

 

 

木葉がまた優しいよね~。この子が特に構えることなく自然に怒ってくれるってことが、チームにとって良かったなって場面がきっと今までも何回もあったんじゃないかなってすごく思う。明確にこういう役目を担うわけでもなく、自然とそうしてくれることがね。そしてね~~~。木兎さんから「だって赤葦だもん」という言葉を聞けたことがやはり嬉しいんだ。木兎さんの言うことはいつも正しい。きっとその正しさに置いて行かれてしまう子だっているはずで、だけどそんな木兎さんをして「だって赤葦だもん」と言わしめたこの子は、2年かけて「こいつは分かってるしついて来れる奴だ」とそう思わせているわけでしょ。そんなのすごすぎる。這い上がるしかない。「だって赤葦だもん」って、「赤葦」を丸ごと認めている、信用している。ほかの誰でもない「赤葦」であることそのものが木兎さんの信用の根拠(信用よりもっと無意識的な、「知っている」という感じ…赤葦だから大丈夫って知ってる、わかってる)。そういう言い方であるように思う。今木兎さんが「コイツなら大丈夫」と一度ベンチに送ったのは、影山でもない侑でもない赤葦くんなんだよ~~。

 

 

本当に苦しい苦しすぎる回。だけど木兎さんが「だって赤葦だもん」と言ったので。大丈夫。どうか赤葦くんが、ほかの誰でもない自分の身体でバレーをやっていく・勝っていく未来を彼自身が喜べるような、そんなものが見られますように。

ハイキュー‼︎第331話「エースのめざめ」

赤葦くんの回想から。赤葦くんについて知らないことが多すぎて、この最初の独白からそうか、そうだったのかと飲み込むことしかできない。だけどバレーを好きでも嫌いでもないのに一生懸命やっていたというのはああ彼らしいなとすごく思った。真面目な子なんだよなあただひたすら。そしてこんな風に「部活」をやっている子ってきっと少なくないんだろう。赤葦くんが「手堅く・ミスなく」というプレースタイルであるのは、元々の性格と中学時代の環境が重なったものだとも思えるんだろうか。仲間の多くは怒られないためのプレーをしていて、赤葦くんもそうだったのかははっきりとは分からないけど少なくとも「とくに疑問は持ってなかった」。そういう環境が良い・悪いではなくて、そういう「正解からはみ出ないプレー」を是とする環境にいて、やはり多かれ少なかれ今の彼を形作る一つの要素になっていることは間違いないだろうと思うし。


友人の問いかけに対する答えが何というかずっとふわふわして、受動的で、流れに身をまかせるままという感じで、それも分かる、と思った。きっとある程度のことは一定以上にできてしまう子で、だけどそこに特別な熱を抱けるものにまだ出会っていなくて、だから目の前に広がる(きっと周りの子たちと比べてもたくさんの)選択肢に対して自分の感情によって選ぶってことを知らなかったんじゃないかなあ。「推薦をもらっているから」というすごく合理的で「正しい」判断のもとで梟谷に傾いていた、というただそれだけだった。のが、出会ってしまう。「衝撃的だった」と言いながらしら〜〜って顔をしている赤葦くんに笑ったけど、外から見ても気付かないけれどこの時彼の人生が変わってしまったんだなと、読者だって今週を読んで初めて、モノローグがあって初めて知ることができたわけで、木兎さんはこの時自分が1人の人間の人生を変えてしまっただなんて知るはずがなくて…きっと知ったって何があるというわけではないしそれもまた木兎さんらしいし。赤葦くんのこの「衝撃」の出会いが一方的なものであったということがやはり「スター選手」との出会い、という側面を際立たせるように思う。この中学時代の赤葦くんにとって木兎さんが、「当たり前」とか「普通」をぶち破って来るようなそんな衝撃的な人であり出会いだったんだということ、そして確かに彼の世界を広げた人であったということ。そうだよな、そんなの「スター」だよなあ。知らず知らずの内に他人の人生を変えてしまってるんだもん。


白布について「エースを追いかけて」白鳥沢に決めるという物語を描かれたから、赤葦くんはどうなるんだろうなとずっとずっと考えてきた。そして今回赤葦くんについて描かれたものというのが、梟谷がはじめから選択肢のひとつとしてあって、合理的な判断のもとで「推薦をもらっている」梟谷に傾いてもいて、だけどこの出会いと衝撃と、(きっと)はじめて彼の中に生まれた熱が確実に最後の決め手・きっかけとなって梟谷を「選んだ」というもので。もうこれが本当に彼らしいし、だけど中学時代の彼を思えば確かに踏み出した新しい一歩でもあって、とにかく大好きだと思った。


自己紹介をする赤葦くんの「セッター」という言葉に反応して早速練習に誘う木兎さん。部内にもセッターの子は何人もいるだろうけど、木葉の反応なんかを見るに、例の「際限ないから皆早々に逃げるんだよ」っていうのはこういうところなのかな。木兎さんに練習誘われた、って喜んで自主練に応じたらあんまりにもキツくて際限なくて、実際に断られたり逃げられたり、ってしてるのかも。


赤葦くんも相当キツそうにしてるけど、この子もまた「意外と変人」で、最後までずっと木兎さんの練習に付き合い続けたのが赤葦くんだったのかもね。何ていうか、メーター振り切ってる木兎さんに追いつかんと必死に食らいついていく、というよりはこの子もこの子でちょっとズレてて、あくまで「楽しい」って自分本位な理由があって自然とついていけたというのが、いいなあと思った。赤葦くんと木兎さん、全然タイプの違う2人で基本ズレまくってるんだけどたまに妙にぴったり重なる部分があるなと思うのはこういうところだよね。


全国常連の強豪に推薦をもらうほどに上手かったはずの赤葦くんだけど「ストレートに人に褒められる」ことは珍しかったんだな〜〜。これもモノローグと表情が全然噛み合ってなくて笑ってしまったんだけど、何というかこのモノローグの意外なほどの幼さ(この間まで中学生だったことを考えればそんなにおかしくはないのかもしれないけど)が妙に胸に来て、平坦だった赤葦くんのバレーボール人生が、スター選手との出会いによってどんどん変わっていくのを感じる。木葉・小見とのやりとりもかわいかった。副主将・しっかりものの2年セッター、という側面もそれはそれで間違いではないというか実際そうなんだろうけど、だけど1番近くで見てきた先輩たちが「コイツも意外と変人??」と、何ていうのかな単なる後輩ではなくて、赤葦くんという人間をぐっと内側に引き入れたような感じというか。木兎さんありきの人物像ではなくて赤葦くん自身の話になっている感じ。


「元々得意だったクロス打ちをブロックにガンガン止められて」からの木兎さんの「ちょっとだけスパイク練付き合って」が、「ちょっとだけ」ではないことを赤葦くんはもう知ってる。だけどきっと、「ちょっとじゃねえ」とはもう言わないんだよね。赤葦くんが木兎さんを「本気には本気で応えなくてはと思わせる人」と語っているのにすごくぐっときた。好きでも嫌いでもないのに一生懸命やれる赤葦くんはやっぱり真面目だし、「本気で応えなくては」と意識的に応じるところもきっとあっただろうけど、だんだんと自分も本気になっていって、木兎さんとしても(特別意識はしてないだろうけど)常に同じ熱を持って本気で返してくる奴が隣にいた。それは赤葦くんだけではなくて部のみんなそうで。強豪校っていう環境だからそもそもみんなモチベーションも技術も高いっていうのはそりゃめちゃくちゃあると思うけど、やっぱり木兎さんの「本気には本気で」と思わせる資質というのもチームを底上げするようなパワーを持っていたんだなと思う。夏合宿の時にも「敵味方関係なく士気を高めてしまう選手」というように言われていたけど、先日の胸部レシーブも含めて(笑)、周囲を巻き込む魅力もパワーもある選手なんだろうなと思う。


季節は変わり。ブロックフォローの練習をする小見が次の大会ではしっかり上げているのがさらっと描かれているのも良かったなー。同じブロック相手に再びクロスを止められるも、ストレートでぶち破る。普段は感情と表情がいまいち一致しない、「テンションの低い」赤葦くんが、バレーを好きでも嫌いでもなかった赤葦くんが、瞳を潤ませて「俺達が世界の主役」だと独白する。もーーーこれに涙が止まらなくなってしまう。冷静で真面目で現実的なこの子が、「世界の主役」なんて、めちゃめちゃに主観的で感情的でおっきなおっきなことを言うのが、本当にすごい。きっともう「好きでも嫌いでもない」なんて言わないんだろう。俺達が世界の主役だなんて言ってしまうくらい、バレーに打ち込むようになったことも、それほどの変化を木兎さんや梟谷の子たちが与えたのだということも、その全てがあの「スター選手」との出会いから始まっていることも、何もかもすごい。赤葦くんが「俺達が世界の主役」だとそう思える高校時代の一瞬を、木兎さんと共に生きている/生きていたこと、今そういう高校時代の・高校バレーの真っ只中にいることがとにかく眩しくて仕方ない。本当に本当にすごいシーン。大好きだ。


やはり「想定内」のツー。セッターにとって「本来の仕事」ではないツーアタックを選択することに伴う責任みたいなものには以前もスガさんが言及していたけど、彼の性格とかプレースタイルを考えてもこの「大罪」という言葉に乗っかってるものの重さというのをひしひしと感じる。だけどこんな苦しい中でも、すっと普段通りの表情を作って自分からチームメイトに声を掛けるところ。あくまで感情に振り回されずしっかりチームの方を向いていて、本当に強いし、正しい。しかし木兎さんの受け止め方はまた違ったようで、ここが今週最後に繋がってると思う。それは何週か前の尾長くんの失点に対するリアクションとの違いというのを見てもすごくよくわかる。


研磨の解説。「赤葦が一発目木兎さんを使わない」ところまで相手は想定してたんだな…想像以上だった。木兎さん潰しの方法のひとつとしてセッター潰しに勤しむ臼利、「ハツラツと性格が悪い」がめちゃくちゃ言い得て妙。笑 あとこういうのを作中でチームメイトに言わせているの、やっぱり優しいよなと思う。臼利ヘイトが高まりそうなところでそれを言われると、それが「個性」に落ち着くというか。


ブロックを意識するあまりトスが低くなってしまう。そしてわざと同じ攻撃、まじで性格が悪い!笑 褒め言葉です。これ決まったらいよいよキツイ、というところで木兎さんがブロックへ入り、そして強烈な一発を決める。そして続く「対木兎シフト」に、超インナースパイク。ヒーローとしか言いようがないよ、こんなの。かっこよすぎるじゃん。土壇場でのエースとしての力をこれでもかと感じた。そして、木兎さんは宣言する。


ついについに、一選手として・一エースとしてという方向に向かっていくんだな。ずっとずっとこれが見たくて、私たちが物語として追うことのできる高校生のうちにその時を見届けたいと、木兎さんにはその課題を克服してから高校バレーの先に行ってほしいと、本当にずっとずっと思っていた。だから本当に本当に嬉しくてたまらなくて、そして、これは「梟谷の」エースでなくなる未来をまだ受け止める自信のない読者のエゴでしかないけれど、やはり、さびしい。


だけど、こんな木兎さんだからこんなに好きなんだよな〜〜!さびしいって思う読者の気持ちなんか(そしてもしかしたら似た感情を抱くのかもしれないチームメイトのこともまた)置いてけぼりにして、前だけ見ていてほしい。まあ言われなくたってそうするだろう。こういう子だからきっとこんなにも人を惹きつけるし、本気にさせるし、めちゃくちゃに強い。


「この試合を3年生の最後にはさせない」、だから落ち着け、と普段通りの自分を作ろうとする赤葦くんを見て、木兎さんの中に何か生まれたものがあったんじゃないかなあ。だからああいう顔をしてたんじゃないだろうか。そしてその木兎さんは「3年生の最後にはさせるわけにはいかないから普段の自分に戻ろうとする」赤葦くんと対照的に、「あと何日かで最後が来るから普段の皆のおかげのエースをやめよう」。2年生と3年生の違いっていうのは当然めちゃくちゃあるけど、今の赤葦くんに必要な成長というのを考えてみても、赤葦くんにとっての全てのはじまりである「スター」から最後に受け取るものっていうのがこの試合か、その先かでまだあるんじゃないかな、あったらいいなとやはり思う。


プレーの面で・精神的な面で、互いに支え合う部分を持って高校バレーを共に過ごした赤葦くんと木兎さんが、あと数日でお別れをすることになる。その先で、2人それぞれが互いの場所でバレーボールをやっていけるようになるためには、木兎さんは(仲間のおかげの)というかっこ付きのエースから進化しなくてはいけないし、赤葦くんもまた「ミスなく・手堅く」というのが彼の強みであると同時に、その先へゆくのを阻むものになってしまっているのだとしたら(「嫉妬しますね」には確かに何かが彼にブレーキをかけているのを感じた)、やはりそこから一歩踏み出す時が必要なのだと思う。今を勝つために、そして同時にその先の未来をそれぞれが勝っていくために。そういう未来を信じることができるように。そこに向かうための最後のきっかけが「木兎さんがただのエースになる覚悟を持つこと」だったんじゃないかな。


何というか、何をどれだけ喋っても足りないな、今週は。さびしさと喜びと期待が全部同じだけあって、もう気持ちがめちゃめちゃ!笑 幸せな悲鳴だな〜〜。自分の中にずっとずっと残る1話だと思う。宝物です。

ハイキュー‼︎第330話「エースのさだめ」

胸部レシーブで会場を沸かせる木兎さん。笑 こういう、気付いたら会場を味方につけてしまうようなところって選手として強みでもあるんじゃないかな、ってすごく思う。というところで沸き立つ観客の言葉をぶった切るように桐生のスパイクが決まる。木兎さんのああいうのって天性のものでもあるなと思うし、私は彼を贔屓して見ている読者なのでやはりそこを愛しているわけでもあるけど、木兎さんがどんなに客沸かせたって「只者じゃない」と言わせたって関係ない、とばかりに力強い一発を決めていく桐生というのもすごくかっこよくて、「3本の指エース」の1人がこういう選手であったということが嬉しい。



「ただバレーボールをしにくる」奴ら、やはり「バケモノ」と近いところにあるものかなと思う。木兎さんは「バケモノ」なのだろうかということを何度も考えたことがあって、今回のこの桐生の表現がそのまま「バケモノ」に当たるかというとそれは分からないけど、やはり近いものではあるんだな、ということを「エース」の話の中でこうやって知ることができて、それがすごく良かった。



木兎さんはきっとこれまでもサーブで狙われ強力なブロックに阻まれ何度打っても拾われて、というのは何回も何回もあったはずだけど、やはり勝ち進めば勝ち進むほど相手も強くなって、求められるレベルは上がっていく。この試合では赤葦くんの話が何か描かれるんだと思うし、その中で木兎さんも大きく関わってくるのかなと思うけど、木兎さん個人の話としてもこれからより上位のカテゴリでバレーボールをしていく一選手として、「エースのさだめ」をどう受け止め向かっていけるのかっていうことに関して何か大きなきっかけが得られたらいいなと思う。



赤葦くんが、なんとか木兎さんが調子を落とさないように、とかノせないと、っていう意識がきっと他より人一倍強いセッターだということを、狢坂の選手たちもきっと分かっている中で、木兎さんはサーブで狙われストレートもクロスも決まらないっていう状態で赤葦くんがツーを選ぶの、めちゃくちゃ「想定内」なんだよね、多分。ツーって黄金川のやるみたいなの以外は「不意打ち」ということのほかはただの軟打と同じだと思うし、だからこそ「今かよ」っていう奇襲感が重要なんだと思う。今回の赤葦くんのツーは、動機が分かりやすすぎた。だから外から見てると「今のはちょっと気持ちがはやったね」で終われるけど、赤葦くんからしたらエースに決めさせてやれずツーも跳ね返されて、って気持ち的にはきついよな〜〜。エースが気持ちよく打てていないっていうことは梟谷においては「現状としてエースの点が入っていない」というだけではなくて「このまましょぼくれたら今後の得点に大きく関わる」ということがまた怖い。何もかも詰んだわけでは全くないから突破口はあるはずだけど、試合開始前の赤葦くんの回想で見たような色々と背負っているものの重さがまた苦しい。



どうなるかな〜!春高に来てからは、田中や西谷(+ちょっとタイプが違うけど研磨)なんかもそうだけど、2年生が周りから支えてもらって言葉をかけて貰いながら、自分できっかけを掴んで殻を破るところをすごく見てきているので、赤葦くんにも「嫉妬しますね」の先が見えたらいいなあ。それにしても今週の赤葦くんはいい表情しすぎていて良かった〜〜。最後の顔、めちゃめちゃキタ。笑 ツーアタックを止められてしまうあのコマの絵の美しさもすごかった。推しのピンチは辛いけどそれ以上にここまで描いてもらえるんだという感謝が止まらない。古舘先生ありがとうございます。



年内ジャンプあと2号!梟谷戦、年またぐかな〜〜。頑張ってる人に頑張れというのもあれなので……。赤葦くんが大きくなるところが見られますように!