ハイキュー‼︎第334話「ネガティヴ限界突破」

とにかく木兎さん。会場中を味方につけて、それこそ「世界が俺に加勢している」状態。会場を沸かすプレーの「華」と、またその大盛り上がりの会場の空気を全部自分のエネルギーに替えて更にパフォーマンスを向上させていく様子がやはり「スター」そのもの。読んでいてもぐわ~っとテンションが上がって、ワクワクする感じ。何より木兎さんが生き生きとして本当に楽しそうにプレーをしているのがいい。

 

 

そしてその木兎さんの裏返しとしての、桐生。怯えだとか焦りだとかに縛られることなく、100%純粋に「楽しい」とプレーをする木兎さんはやはりすごいし、きっとそんな風にやれる人のほうが稀だろう。だけど「お前がこわい」と素直に言葉にできることも、チームの中でそれをこぼせることも、仲間への揺るぎない信頼を「自惚れ」に繋げようという勇気を持てることも、やはりすごいんだよ。ネガティヴな人がある時から突然自分に100%自信を持てるようになるなんてことはないし、自分を鼓舞する方法はそれだけではない。自分に自信がなくても、自分の能力を信じられなくても、「仲間」に対する信頼だけは確実で、その信頼できる仲間が「お前は全部やってきただろ」と言い自分にボールを繋げてくれる。じゃあその仲間の信じる「自分」を信じてみよう、っていう流れが本当にいい。コートに6人選手がいるというのは単に役割や責任の分担ではなくて、人間同士の関係性やコミュニケーションや精神的なやり取りがあるからこそ生まれるものがある、それは良くも悪くも。ってすごく当たり前のことなんだけどすごく実感した。

 

 

で、こんな風に今考えても仕方ないようなことをつい脳裏に浮かべてしまってプレーを邪魔するノイズみたいなものだとか、誰かと自分との比較から生まれる嫉妬や羨望や劣等感だとかをまっさらにするわけではなくてもこうやって振り切ることのできた桐生を見て、やはり先週の赤葦くんのことを考えてしまうんだな~~。2人がこういった「ノイズ」や「誰かと自分」っていうことについて、非常に似た状況にありながら、それをチームと共有した桐生と内省に留めた赤葦くん、という違いも気になるし、そこから導き出した結論が「自惚れろ」と「いつも通り」であったこともそう。前の記事でも言ったように「いつも通り」が悪いわけでは決してないし、「いつも通り」の強さを知っていることも素晴らしいことなんだけれども。今週の「自惚れろ」に至る思考がどんなものだったかって見た後だと余計に、「いつも通り」という選択の中にどれくらい「自分」があったか?と(すごく抽象的な言い方ですが)気になってしまう。それは2年生と3年生の違い、セッターとエーススパイカーの違い、ということもあるかもしれないけど。

 

 

そして今週白布が赤葦くんに言及したことの意味を考える。まず「大エース」にトスを上げるセッターとして、というのがそう。更に言えばその中でも大エースを立てるセッター、という方向に100%振り切ったのが白布である。白布の「1セット目は何かイライラしたけど2セット目はいい」という発言は「同族」としてのもので、大エースがいるにもかかわらずセッターがアレコレやって空回りして何やってんだよという苛立ちがあったのが、立ち直った赤葦くんが2セット目で見せている「いつも通り」のプレーについては評価しているように思う。白布の考える、「大エース」のいるチームでのセッターとして「正しい」振る舞い方に合致した動きを赤葦くんが第2セットでは見せているということなんだろうと思うけど、このシーンが描かれた意味とは?と考えたとき、333話の赤葦くんの出した結論の「正しさ」を担保する・肯定する役目を白布が担ったのか、あるいは、赤葦くんが白布ほど「振り切って」はいないことや、桐生の流れも考えたとき、本当に「2セット目はいい」のか?という引っかかりになっているのか、どちらもあり得そうに思えてきて難しい。というか、私自身が赤葦くんの物語にまだ展開があるんじゃないかあったらいいなとやはり考えてしまうので、後者のほうの可能性をつい求めてしまうというだけかも。

 

 

うーん。やっぱり333話に引きずられっぱなしの感想になってしまった。「ははは」もまあきつい。今の赤葦くんはもう「俺達が世界の主役」とは言わないんだろうな、と。赤葦くんのことばかり話してしまったけど、狢坂、本当にいいチームですごく読み応えのある回でした。