愛をみた

「ハイキュー‼︎」が最終回を迎えた。

 

ハイキュー最後の28頁を読み切った瞬間、嘘のように幸せでいっぱいな?気持ちだった。さびしい終わらないで、この先何を楽しみに生きていけば、ってやっぱり悲しい気持ちがあって、だけど作者が描きたいものをすべて描ききって、めちゃくちゃおもしろいまま終わるその瞬間に立ち会えるのってめちゃくちゃ幸せだな、ってぐちゃぐちゃな気持ちですごしたこの2週間。だけど最後の1話を読んだとき、さびしさ悲しさより何よりもうこの漫画がやっぱり大好きだっていう気持ちしかなかった。

多分もう少ししたら…次のジャンプが出るときとかかな、本当に終わっちゃったんだなってさびしい気持ちにはなるんだと思う。だけど今はそれよりもっとずっと、幸せで胸がいっぱい。

 

 

ハイキューが最終回で描いた見開きのカラーイラストは、これまで登場した学校の子たちが梟谷の体育館に揃って、試合をしたりそれを観戦したり談笑してたりするそんなイラストだった。それがあまりにも夢のようでいとおしくて、そしてめちゃくちゃにハイキューらしかった。あらゆる子に光を当て愛情いっぱいに描いたこの漫画をずっと読んでいたら、気付いたらいわゆる「推し」とか特別大好きなキャラクターだけじゃなくて本当にすべてのキャラクターが好きになっていた。だからこの見開きイラストで、本当だったら高校時代に出会っていない子たちもまぜこぜになって円を作って交流している姿のどこを見てもかわいくて、どんな話をしているのかなってちょっと想像できたりして。

 

 

ハイキューが最終章で描いたのは、かつてバレーボールをやっていた彼ら彼女らの6年後の姿だった。日向・影山をはじめとするBJ、アドラーズの面々を筆頭に、観客席に集うかつてのバレーボーラーたち。V1、V2、V3、それ以外の場所でバレーボールを続ける人、あるいは今はバレーボールを続けていない人。正直に言えば、私はハイキューをずっと楽しく読んだ読者ではなかった。狢坂戦がやっぱり消化できないまま、そのまま作中では6年の時が経過。素直にいえばついていけなくなった。それでも毎週月曜日にはジャンプが発売されて、物語は進む。「読むのをやめる」という選択肢はなかった。興味がなくなったのなら自然とそうなるものだろうとも思うけど、100%楽しく読めなくなってからもこの漫画は変わらず私の生活の中心にあって、寂しさでも悲しみでもモヤモヤした気持ちでも、とにかく自分の中のこの漫画というのはずっと熱く存在していた。空白の6年間を経て、そこには喜びもワクワクも、納得も驚きも、戸惑いもあった。その中で自分にとって大きな転換点となったのは中島・照島らの登場だった。はじめは春高出場の「おなじみの」キャラクターから登場していく流れがあった中で、春高予選の1試合しか登場していない彼らの「現在」をも描くのかということに、とにかく驚いた。この漫画もしかしてすごくない?という改めての気付きと、ああこういう漫画だったな、という思いと。しばらくして、私がずっと見たい知りたいと思っていた梟谷のあの年の春高決勝が描かれた。狢坂戦当時どうしても晴れなかったモヤモヤは依然としてあったしこの時描かれた梟谷の決勝を見てもやはり苦しい気持ちは拭えなかったけれど、とにかく梟谷の春高はもうこれで終わった、もうこれ以上描かれることはない、という事実は、不思議と穏やかに自分の中で昇華された。そして数話後、連続して描かれた佐久早の話と若利くんの話のもう単純な面白さ、めちゃくちゃな面白さにすっかり救われてしまったのである。

 

 

 最終回、白鳥沢の「情熱大陸でマブダチと紹介」の実現が若利くんでなく天童の密着であったというサプライズ。若利くんが「マブダチです」と声を重ねるのにじんわりきた。音駒、満を持して登場した彼らの現在もまた挑戦に溢れていた。夜久さんの代表入りと虎・芝山のバレーを続けるという選択は個人的にめちゃめちゃサプライズでもあった。反対に、モデルとして活躍する灰羽姉弟の姿はびっくりするくらい目に馴染んだ。笑 東京でオリンピックが開催されるっていうのに(かつての仲間が出場しまくるというのに!)「弾丸世界ツアー」に出ている旭と西谷のツーショットがあまりに最高だった。ふたりの子どもを抱いてテレビの前でバレーを観戦する「主夫」の笹谷の姿に、少年ジャンプでバレーボールを頑張った元高校生たちの未来のひとつとしてこれが描かれる価値の大きさを思った。そのプレーと信念を以てこの漫画に確かに大きな問題提起を投げかけた存在のひとりである大将がDivision2でバレーを続けていることが素直に嬉しくて、今どんなバレーボールをしているのか見たいなって、もしかしたら1番思うのは彼のバレーボールかもしれない。そしてその大将の高校時代の恋人であった美華。今恋人関係が続いているのかとかそんな説明書きは一切なく、確かにきっかけは大将であったけれども彼女もまたかつてバレーボールに触れた人物のひとりとして最終章で姿を見せたことが嬉しかった。そして影山に若利くん、岩泉、それぞれと因縁かあるいは約束かを背負い、アルゼンチンのセッターとして姿を現す及川。「全員倒す」という宣言をその身を以て力づくで果たさんとする彼のもうめちゃくちゃな強さ。青城の子たちが全力で、もう全然揺らぐことなく、100%、東京オリンピックで日本と戦うアルゼンチンの方を応援するのがあまりにかわいくて素敵だった。京谷が月島や黄金川と同じチームでバレーを続けていて、なんていうか「普通に」チームメイトの月島と言葉を交わす姿がめちゃくちゃに嬉しかった。

 

 

日本代表に選出された百沢、彼の1番最初のMAXすごい「高さ」という才能が「小柄な日向が成長してゆく物語」が存在するすぐそばでも決して軽視されず、「日本代表としてこの場に立つまで」育まれてきたのだということが嬉しかった。日向と影山を主人公とするこの漫画で、それでも侑が「コートに立たない方」なんかでは決してなく、強いセッターは1人じゃないと描かれたことには素直にほっとしてしまった。テレビに映る侑を指さしてはしゃぐ北くんのとびきりの笑顔が本当にかわいくて、そしてそんな北くんの隣に立ってももう「北さん笑っとる」とかそんなことは思わないだろう治と北くんとの少し形を変えた関係性もまたいとおしかった。世界の舞台で昔と変わらず漫才やってる侑とアランくんを映すテレビを見て本当に楽しそうに笑う治には、かつての自分の背番号「11番」を今度は侑が背負ってオリンピックの舞台に立っていることなんて、もしかしたら些細なことかもしれない。侑にとってもそう。たまたまかもしれないけど、治とのバレーが今の侑の筋肉をもりもり作りまくってここに立ってるんだということが改めて心にしみた。

 

 

最後は1話と同じ「バレーボール(排球)」で物語が締めくくらられてゆく。この漫画を読み続けた数年間、私や少なくない読者の中には原作の物語を追いかけた思い出と共に「ハイステ」の思い出がたくさんある。そらで言えてしまうのが全然不思議じゃなくて、それが妙に嬉しかった。「つなぐ」という言葉に思い起こされる401話分の軌跡。コートに立つ選手たちだけじゃない、かつてバレーボールと共に生きていたすべての子たちの未来につながっていて、そのひとつひとつの出来事が今の彼らを作っている。こんなふうに高校時代の部活の価値をずっと変わらず信じていけること、大切にしていけることって、多分簡単なことじゃない。でも読者である自分が、あるいはもっと若い少年少女の読者たちがこんな夢を見せてもらって生きていけることはめちゃくちゃに幸せだ。



最終話にはどんなタイトルがつくんだろうとずっと考えていた。最終ページ、「挑戦者たち」という文字に、全然予想も想像もしてなかったはずなのに「これしかないな」なんて思っちゃった。この漫画に登場した全ての人物がきっとかつての「バレーボール」の思い出に・それが作った筋肉に支えられてこれからを生きてゆく。ひとときでも、少しでもバレーボールに関わって生きた瞬間を持った彼ら彼女らの誰一人取りこぼすことなく包み込み鼓舞する「挑戦者たち」という言葉に、果てしない愛をみた。




(2020.7.21)