ハイキュー‼︎第278話「守護神のヒーロー」

複雑な表情を浮かべベンチに戻る木下。「今日で終わりかもしれない」スガさんがこんな風に声を掛けられるのがすごくいい。ハイキューでは「先輩のために」みたいな動機がパフォーマンスを劇的に向上させる、っていうのはあんまり描かれない気がする。むしろそういう思いが強くて空回ってしまったりだとか(戸美戦の山本あたり)、今回みたいに「3年生は最後かもしれないのに何もできなかった」っていう悔しさが描かれるのが印象的。他の漫画がどうなのかとかは分からないけど、ハイキューに関して言えば、3年生が最後なのはみんな一緒だし、そこに懸ける思いの強さが勝敗を分けることはない。「努力」とか「気持ちの強さ」(とか、バレーをやるのに望ましい環境とか)に関して皆がある程度のラインを超えていることを大前提にこの世界は始まってて、それをプレーに点数により多く、あるいは早く?繋げた者が強い。描かれた烏野の努力の分と多分同じくらい、他の学校も努力してるし、木下が「先輩の最後」を思うのと同じく、烏野以外の学校の子たちもきっとそれを思ってる。だから思いの強いほうが勝つって描き方はしないけど、その「思い」自体には共感的に、すごくわかるなぁって描き方をしてくれるし、何よりその思いを向けられてる3年生たちがやっぱりめちゃくちゃかっこいい。スガさんはきっと、後輩たちの「3年生の最後」って思いをわかっていて、こういうふうに何でもないように、いつも通りの感じで声を掛けてくれる。やっぱり3年生って大きい。たかが一学年の差なのに、やっぱり違う。

 

影山サーブ。実況は「何か持っている」と言っているけど影山は不服そう。ここでネットインになるあたり単なるラッキーじゃないよな、やっぱり違うなぁ、乗ってるな〜!って意味合いで言われていると思うけど、影山としてはきっと、戦略的にどこにどう打ってどう崩すかって考えた通りに打てなかった悔しさというか、満足してなさみたいな方が圧倒的に強い。多分ずっとそう。

 

西谷が語り出す。めちゃくちゃ珍しい。子どもの頃「こわい」ものが多くて、ビビリだった話。そんな子どもの頃の西谷に何でもやらせたのがおじいちゃん。正月回にちらっと出てたよね。羽子板勝負してた。「こわい」と思う気持ちは幼少期に置いてきた彼にとって、宮侑のサーブに足が動かなかった瞬間に抱いたその感情は、なつかしいものだった。そして西谷のおじいちゃんの教えがまた良くて、「こわがる」ことは、もったいないから悪いのだと。「食わず嫌い」することは、食べられないこと嫌いなことが悪いのではないし、食べてみた結果嫌いだと思うことを決して否定しない。唸る犬には理由があるということ、自転車に乗れたらどこまで行けるのかということ、それを「わからず終い」のままなのは「もったいないのさ」と、足のつかない自転車で遠く登ってきた山の上で夕焼けを見ながら語る。「それでもこわかったらどうするの」?「助けてもらう!!!」

 

こわいものなんて一つもないみたいに、いつも頼もしく烏野の背中を護り味方を鼓舞する西谷のその強さは、決して生まれながらのものではなく、トライアンドエラーを繰り返し、(ときにやっぱり嫌いだ苦手だというものにも出会いながら)獲得したものだったんだな、ということになんだか安心した。西谷って初期からいるキャラクターで田中と一緒に騒いでバカやったりもする普通にやんちゃな男子ってイメージも確かにあるのに、なぜだか自分の中で、どこか「わからない」ところがあった。それって、彼の弱い部分を今までほとんど見なかったからだと思う。挑戦してみて、それでもこわかったら助けてもらえばいいのだと知っている彼は、きっと同じくらいに、まわりの誰かがこわいものに出会ったときは助けてあげればいいのだ、ということも分かってる。今までチームメイトの誰かが「こわい」ものに出会ったとき、西谷はそうやって仲間を助けてきた。そして今回多分初めて、西谷が「助けてもらう」番が来て、彼にだって当たり前に「こわい」ものはあって、弱い部分がひとつもないなんてことはなく、「自分の弱さを知っていること」そしてそんなときには「まわりに助けてもらえばいいということ」、さらに反対の状況では同じように「自分もまわりを助けてあげればいいということ」を知っているのが彼の強さだったんだなと思った。

 

そして、困ったときに「助けてもらう」ことを決して否定しない、というよりむしろ肯定してくれるっていうのがやっぱりいいなぁと思った。食わず嫌いだった食べ物を食べてみて、結果「嫌いだ」となるっていうことについてもそう。「助けてもらう」という字に被さった西谷の回想に影山の「Aパスじゃなくていいですけど高くください」があるのもいい。空気読めない、みたいに言われたシーンだったけど(旭さんが発したみたいな「カッコイイ」「エモい」セリフにすることはいくらでもできたと思うけど、影山らしいなっていうのはこっちだと思うから私はこのセリフが好き。)西谷が「Aパスじゃなくても」旭さんが「決めてやる」ためには、その間にいるセッターがその分苦労するっていうのは少なからずあるわけで、西谷もそれをちゃんと分かっていて、影山の必要なことだけを伝えた言葉でも西谷にはしっかり伝わってるんだよねー。

 

「わからず終いはもったいない」という言葉から、私はどうも、半年前から気になっている、「嫉妬しますね」といった赤葦について考えてしまう。「(あえて相手の得意なことをやって見せることで精神的圧力をかけることを)やってみようと思いきれること」に嫉妬しているっていうのはなんだか、「わからず終い」のまま、自分とは違うと線を引いているみたいに思えちゃう。「できる」「できない」という結果より前に、「やらない」ことを積極的に選ぶわけでもなく、ただ「やる」を選ぶことはしない、できない、というようにブレーキをかけて、「できるかどうか」も「やれるかどうか」もわからないまま、っていうようにどうしても、考えてしまう。

 

「染みついた一歩下がってアンダー」のパターンが、西谷のオーバーの不得手に関与してたっていうのは結構しっくりきた。本当に一瞬の判断が課される場面で、どうしても機会自体が多いアンダーに入る姿勢に身体が勝手に動いてしまうっていう感じかな。そしてそれが木下の声によって、文字通り「一歩踏み出して」オーバーを成功させる、って物語に重なっていくのがもうめちゃくちゃすごい。少し緊張しながら、でも丁寧に、ボールを指先で捉え送る。この動きがすごく綺麗。影山が淡々と「ナイスレシーブ」と言う。ただの事実。それがめちゃくちゃ熱い。ちゃんと「高めに」上がったボールを影山は旭さんに上げ、ボールは稲荷崎のコートへ落ちる。西谷が指差すのは、木下。木下が西谷相手にサーブを練習した分だけ、西谷も木下相手にオーバーを練習してたんだよね。西谷がぐっとこぶしを握り、木下もまた5本の指をぎゅっと握る。タイトル、「守護神のヒーロー」もうめっちゃくちゃ熱い!先週の木下の話って、めちゃくちゃしんどいけどめちゃくちゃに現実でもあって、彼が一瞬でもヒーローになれる瞬間がみたい、って心から思わされてからの、これ。コートに立ち活躍する西谷の背景には木下と練習を重ねたことがあって、コートに立っていなくたってヒーローになれる。っていうのが、言葉にしちゃうと陳腐な響きになってしまうのがもどかしい。なんていうか、先週の木下って、「烏野の」失点を「自分の」失点みたいに捉えているようなところがあるんじゃないかなって思ったんだけど、今週はその反転で、「烏野」の得点は、木下の声や、木下が西谷とした練習や、そういうのが全部合わさって「烏野の」得点になってるって木下は思えたんじゃないかなぁ。あまりにいいシーンすぎて、表現する言葉が見つからないけど。「西谷のようにはなれないけど」と思っていた木下が、この瞬間、西谷にとって間違いなくヒーローであった、っていうのがぐっとくる。

 

ほんとにいい話が続くなぁ。7-10で烏野がリードというところだけど、「ジャンフロ取られたらそれはそれで闘志に火がつく」と北に評されていた宮侑が今度は更に怖い。烏野は日向が下がって月島が上がってくるローテだね。来週もたのしみ。