ハイキュー‼︎第318話「相棒」

2セット目セットポイントをレシーブで勝ち取った日向。音駒の横断幕「繋げ」と共に映るのが、まーーーエモい。コートチェンジをして相手チームの横断幕を背にするこの第2セットでしかできない演出。
 
 
リエーフや猛虎に声を掛ける黒尾。もう今週は終始黒尾黒尾なんだけど、この時点でもう、ちょっと来るものがある。初登場からこのゴミ捨て場の決戦第2セットまで、黒尾本人のことってほとんど描かれたことがなくて、この第3セットで確実に何か描かれるんだろう、何が描かれるのかとドキドキしながら今週を読んでいたところに、このチームメイトに声を掛けて回る黒尾を見て、あぁついに来るんだな、と。熱くなりすぎて自滅のパターンが見えそうなリエーフにはわざとふざけたような調子で話しながらも「ガッと」「20点」から目の前の1点に目を向けさせ、固くなっている猛虎には軽い感じで声を掛けつつ「さっきのストレート」と具体的な例をあげながら、自然に自信を持たせる。やっぱりこうやって常に周りを見て、気にかけている子だよな、とじんわり来た。東京予選の戸美戦なんか、自分が背負うものや懸ける思いというのも大きいだろうに、そういうチームを気にかける動きが特に目立っていた。もちろん、自分の思いとチームを気にすることは両立できないものでは全くないし無理をしているわけでもないと思うんだけど、意識的に頑張っているんだろうなというのは、夏合宿から東京予選までの積み重ねの中で、なんとなく感じていた。
 
 
そして東京予選の時も、「たまには主将にもカッコイイ仕事させてちょうだいよ」「カッコイイかは置いといて」なんて研磨が言っていて、研磨こそ何も意識はしてないのだろうけど、積み重ねた年月分の2人の関係性が全ての土台にあるという安心感がすごくあった。黒尾が周りを気にかけて声を掛けて回っている時、その黒尾を研磨が見ていて、(ごく自然に)分かっているということにすごくほっとする。
 
 
そして研磨が7歳の時の記憶。研磨と出会った頃の黒尾が「人見知りだった」「引っ込み思案だった」ことって、私はやっぱり全く想像していなかった。だけどわかるんだよね。これが本当にすごい。みんな色々なことを経験して今の高校生の彼らに成長しているんだなと、普通に、自然に飲み込めるのは、この漫画の人物の描き方が一面的で記号的なものやテンプレに沿ったものではないということがすごく大きい。優しくて繊細な人が仲の良い人に対してはお茶目な振る舞いを見せたりだとか、普段はクールで落ち着いた人が内心に非常に熱いものを持っていたりだとか、キャラクターとしての「ギャップ」という演出ではなくて、ただごく自然に1人の人間として持っている個性。
 
 
更に今回の黒尾に関していえば、確かに彼の過去を想像したとしても「人見知り」「引っ込み思案」に思い至ってはないだろうな、と自分では思うんだけど、自分の思う彼の姿とすごくかけ離れているというわけでもなく。今週冒頭や東京予選で描かれたようにチームメイトに声を掛けて回る姿を見ると、黒尾は、彼がいるだけでその場がパッと明るくなるようなムードメーカー、というわけではきっとなくて、かなり意識して周囲を気遣っている人なんだろうなとはすごく感じていた。それは夏合宿の月島とのあたりを見ても、早流川戦の回想で描かれた音駒の3年と研磨とのやりとりを見てもそう。ノリだけでグイグイいくような人ではないんじゃないかなというのはすごく思う。かなり積極的に人に働きかけているように見えるけど、考えなしにそうしているわけではなくて、周囲をよく見て気にして、っていうのが確実に根底にある。自分の外側のものから、あるいは外側のものへの働きかけによってエネルギーをもらえる人という意味で外向的な人ではあるんだろうけど、外側のものにすごくエネルギーを使う人でもある、というようなイメージ。だから「人見知りだった」「引っ込み思案だった」もすごくすんなり受け止められた。確かに今の彼を見ても、過去にそうだったっていうのは結構わかるなってすごく自然に思える。黒尾の印象がパッと180度変わるのではなくて、今まで抱いていた印象ももちろん変わらず、だけどそこに少し厚みが出るような。
 
 
初めて出会った2人が、それぞれ親にくっついて立ってるのがたまらなくかわいい。こんな時代があったんだよな〜、この子たちも、この子たち以外のみんなも。
 
 
さらっと黒尾の家族構成が語られていて、お母さんはいない。あくまで「さらっと」なのは、この漫画でそこに拘って読む必要がないからなのか、今回研磨視点だからなのか。離婚、死別、別居、と考えつくものは色々あるけれど、まだ幼い彼が母親と離れ知らない土地で新しい生活を始めたこの頃のことを思うと、胸がぎゅっとなる。この漫画ではあまりそこを掘り下げることはないかなと思うんだけど、それはまああってもなくてもいい。だけど黒尾が母親のいない家庭で育った(あるいはそういう時期があった)という設定にはやはり意味がある。それは彼の人間形成を思ってというよりは、もっとメタ的に、少年漫画でバレーをやっている(バレーに携わっている)キャラクターを多種多様に描くことってやはりすごく意味のあることだと思うから。
 
 
初めて自分の部屋に来た黒尾を地べたに座らせてる幼少期の研磨、すっごい分かるしすっごいかわいい。お客さんをどこかに座らせるというところに思い当たらないんだよね。地べたに正座をしている黒尾もまたかわいい。そしてそして、「なんかやりたいやつ」でバレーボール持ってくる黒尾のかわいさよーーー。急にたくさん喋るようになるのもかわいい。今週こういうかわいいとしか言えないコマがたくさんあるんだよー。全コマの情報量がすごい。
 
 
ただの内出血。「おれはちょっと尊敬してしまったのだった」という研磨のモノローグになぜかほろっと涙が出た。何でかなー。研磨の世界が広がった瞬間というのかな。研磨にとっては黒尾もバレーも内出血も、泥んこになって遊ぶこともきっと、知らない世界のことだったんじゃないかなと思うんだけど、それらを特別楽しいとか面白いとかそういうことは何一つ言ってない。ただ研磨がもともと持っていた価値観にマッチする何かがこの時確実にあって、それが今現在の研磨に続いているということにすごくぐっときた。
 
 
つまんないでしょを否定しまくる黒尾、かわいー。何かを言ったことで誤解されるのも言わなかったことで誤解されるのも怖いんだよね。だから何かを言ったときその言葉にすごく責任を感じるし(夏合宿の対月島)、何かを言わないで誤解されることのないよう、とにかく違うものは違うと否定しまくる。笑 すごいわかるよー。
 
 
「新しいトコヤだよねわかる」もまーーめちゃくちゃいい。一見タイプの違う2人のように思えるけど、研磨はこうやって口に出さない「わかる」を積み重ねていって今の関係ができてるんだろうなと思う。根っこのところが同じ温度という感じ。「ただの内出血」というワードを家族の中でも持ち出してる研磨も本当にかわいい。そして研磨の母親のかわいらしさよ…
 
 
「いいか行くぞ」、もうこの時には既に2人の関係性がかなり出来上がってるように見えてとにかくかわいい。行くけどいいかって研磨を気遣うように見えて実は自分が緊張している黒尾と、全然フツーのテンションの研磨。
 
 
 
そして2人と猫又監督との出会い。もーこれあまりにもあまりにもで、何回読んでもうるっときちゃう。スパイクはかっこいいけど背が大きくないと打てないから、と言う黒尾に「優しい言葉を掛けてあげる」でも「指導する」でもなく、ただふらっと通りすがって、何でもないように発したこの言葉がこの当時の黒尾にとってどれほど大きかっただろうか。「好きこそ物の上手なれ」は本当に黒尾にぴったりな言葉だと思う。この試合の序盤、ビッグサーバーに成長した姿を見せた黒尾にも思ったことだけど(http://pero2pero.hatenablog.com/entry/2018/05/19/195824)、「好きだから」「かっこいいから」と始めて、努力を積み重ねて、そうしてレシーブもブロックもスパイクも1つ1つ自分のものにしてきたというのが本当にかっこよくて。そうやって努力を積み重ねて武器を増やしていった背景には、この猫又監督の言葉があったんだな~。そしてそんな黒尾を、「クロはこの日を忘れないんじゃないかなって」見ていた、クロのこの日を忘れずに覚えている研磨にも~~ときめいてしまう。黒尾にとっての運命の日を当たり前のように隣で見ていた研磨が今、黒尾と共に春高の舞台に立っていて、これまた運命の連鎖の末にとうとう実現された「ゴミ捨て場の決戦」を戦っている。きっと研磨にとってはバレーボールとの出会いも、バレーボールとの10年ほどの繋がりも、運命的なものでは決してないのに。それがまた不思議で面白い。
 
 
「なにかやりたいやつないの」と尋ねバレーボールを持ってきた黒尾に「そうじゃない」って全然楽しくなさそうな顔をしていた研磨が、黒尾と出会って、バレーボールと出会って、黒尾と同じ熱量でバレーをやっているわけでもないんだけど「見る」面白さには出会っていたりなんかして、それがおもしろいなと思う。ちゃんと研磨にとってのバレーボールっていうのが、黒尾にとってのそれとは形が違えどもちゃんと確立されているというのがすっごく良い。「参謀」ってワードにときめいているのもすごく新鮮だった。かわいいw当時の「大嘘」を今黒尾が組み立てた音駒というチームで現実にしてしまっているというのも凄い。
 
 
そして黒尾と研磨の非常に密でありながらもさらっとした関係性が十年続いてきたわけっていうのがまた良くて、本当に説得力があった。研磨が本当に行きたくないなら絶対に無理に引っ張って行ったりなんかしないけど、少しでも行きたそうにしていたら引っ張ってでも連れて行く。「行きたくないなら絶対に連れて行かない」を実行し続けることもすごいんだけど、「行きたくない」に慣れて研磨はどうせ来ないよと諦めたりはしないで、「行きたそうなときは連れて行く」をできることもすごい。黒尾が研磨を諦めなかったことも、期待を押し付けたりしなかったことも、どれだけ研磨の世界を広げただろうか。「研磨は好きな事なら一生懸命やるから大丈夫」と言ってくれたことはどれだけ研磨の幼少期を支えただろう。研磨も黒尾も、自分と相手との境界をしっかり分かっていて、何か決めつけたり押し付けたりもしないし、だけど決して諦めない。黒尾が「わかろうと」努力できる人物であることとか、研磨が想像よりも素直で歩み寄れる人物であることとかもそうなんだけど、やっぱり根っこの部分で似ている・・・というと語弊があるけど、自然にわかり合えるタイミングの多い2人なんじゃないかなって思う。
 
 
引っ越してきてからバレーにまた打ち込むようになった黒尾の友達は研磨だけではなくなったし、研磨にとっても黒尾との時間がすべてではなく、黒尾が他の友達と出かければ研磨は「メタルギアやり込む」。これがたまらなく良かった。黒尾が成長していく隣で研磨がずっと変わらないというのもすごい。正確には研磨も研磨で変わったり成長している部分もあるのかもしれないけど、なんというか、黒尾が世界を広げていく様子が描かれながらも、そうでない研磨にもそれを押し付けるような物語構造になっていない。それがすごくいい。
 
 
音駒の円陣、チームメイトの背中に手を添えて円になっているこの絵に、どうも涙が出てしまう。「ごほうびタイム」が始まってしまう。始まれば、終わる。最後のコマにまた涙腺がやられちゃった。ただただ寂しい。全然実感わかないし。烏野と音駒、どちらの選手にも後悔のない試合であってほしいと思うけれど、初登場のGWから夏合宿、東京予選、そして今まで読んできて積み重ねてきた思いの中で今週を読むと、やはり一際強く願ってしまう。どうか黒尾にとってこの試合が素晴らしいものでありますように。