ハイキュー‼︎第301話「ぞくぞく」

センターカラー!このお互いにお互いを見ていない感じがいいな〜。Aパスじゃなくても自分がカバーすることで綺麗に攻撃に繋げられちゃう影山と、とにかくAパスに支えられた研磨。正反対といっていいくらいタイプの違うセッター2人だもんなあ〜。そして2人を分かつネットの描き込まれ方にときめく…好きだ…



天童!なんだか久しぶりでもないような気がするけど、久しぶりだよね。角名の回想?であった以来で、ちゃんと登場するのは多分強化合宿編以来っぽい…ちょっとびっくり。五色は稲荷崎戦の烏野についてうつかりぽろっと褒めてしまった後に「あ いや」と言い訳し始めるのがめっちゃかわいいね。素直でいい子だけど同時に負けず嫌いだったりちょっぴり意地っ張りだったりするのかな。天童がネコマは絶対戦いたくないタイプっていうの、白鳥沢にとっては音駒は戦いづらいだろうな、天童にとってもなかなか読めない音駒はやりづらい相手だろうな、と納得、というのと、戦いづらい相手に燃えるわけではないというところが「人間」側なのかな、と思った。「バケモン」に括られる子たちと比べて。



「守備クオリティもっと上がってきたら〜」に対して天童の「スパイクを拾われる事が〜」、ここちょっと読みづらいな…2人とも烏野視点で話してるんだけど守備完成だけ音駒の動きになっているところかな… 天童の言ってるのはどういうことなんだろうな〜〜。もっと守備のクオリティが上がってしまった場合、烏野は打っても打っても決められなくて体力的に辛い、に対して、でも、それだけではなくて、守備完成の最終段階はスパイクを拾われることの先にある、みたいな言い方。



先週登場しなかった梟谷、まだ試合が始まったというわけではないようで、今週は登場。木兎さんの打つトコないっていうのは東京予選を思い出す。東京予選で音駒相手に「打つトコなくて」アウトしたり…の末にしょぼくれかけた木兎さんは、ブロックの落ち際狙って打つ、と新しいこと始めた旭さんに何を思うかね〜。旭さんは稲荷崎戦終盤にもかかわらず、ずっと練習してきたことに挑戦し成功させたからこそ今音駒相手にやれてるんだなと思うとぐっとくる。



烏野はみんなクレイジー、分かりすぎる。みんなほんのちょっとずつ主人公の狂気をちゃんと持ってるよね… 五色が天童さんには言われたくないだろうなと思うのも分かるんだけど、この「バレーボール」漫画においては天童のクレイジーさはちょっとまた別なんだよね。「バケモン」「妖怪」「ヘンタイ」「クレイジー」。全部が全部同じものを表してるわけじゃないけどちょっとずつ重なってるかな…



ビッグサーバー黒尾、にめちゃくちゃときめいた。11月に試合をしている木葉が黒尾のジャンプサーブについて「使い物になってやがる」と言っていたということは、合宿が続いていた秋か、夏まではまだ「使い物に」はなってなくて、11月東京予選でやっと「使い物に」なり、1月、いま、「ビッグサーバー」と呼ばれる、という変遷がたまらないよね、黒尾が自分の力で掴んだものだもん。この子はきっと今までもこうやって、ブロックやレシーブに関してもひとつひとつ自分のものにしてきたんだろうなぁ、というところで思い出したのが1人時間差。子どもの頃の黒尾が「今使えない攻撃技でも今沢山練習してれば高校生くらいにはきっと〜」と言っていたように、少しずつでも着実にコツコツ積み重ねていけばきっと未来では、と小学生の頃から考えていて、そしてちゃんと結果にもしている、ってすごいな〜って思っちゃった。今やった成果が今ほしい、って考え方は不自然なものではないし、大人の自分でさえついそんなことを考えがちだけど、高校生の自分なんて想像もしないくらい先の未来、すっごく大人だって考えてても不思議じゃないのに、高校生くらいに結果が得られるならとがんばれるのって、すっごくすっごく凄いよ〜。それだけ黒尾はがんばる才能があるっていうのと同時に、やっぱり楽しいって思えたからできたんだろうとも思うけど。夏の「どうしてそんなに必死にやれるのか」という月島の問いへの黒尾の答えが聞きたくなるなあ、やっぱり。第3体育館の話はこの間ほんとうにこれ以上ないくらいの閉じ方をしたのかなと思うから、描かれることはないのかもしれないけど、でもやっぱり知りたいなと思っちゃう、黒尾だったらどう答えるのか(そしてあの木兎さんの言葉を聞いて何か思ったのか何を思ったのか)。



そして黒尾がサーブに入っている時、研磨が考えているのは、1セット目を落とす前提の話。これがまたいい〜〜〜〜!いつもどんな時でも研磨だけが、みんなより一歩引いたところから、違うものを見てる。この間の「点取らせたくない」もそうなんだけど、研磨は点取られる、セット取られる前提でものを考えていて、実際烏野の方が点数としては上であって、それなのに常に研磨が優位っぽい、というところが本当に音駒の・研磨の怖いところ。



ネット際、リエーフのデカさと勢いが影山の技術に押し負けたっていうのは色々と示唆的でいいな。何事も手段でしかなくて、大事なのはどう使うかだなって改めてすごく思う。手段のレパートリーもクオリティも凄い上に更に増やそうと向上させようとしていて、その組み合わせ方や繰り出し方に関して元々のセンスに加えてめっちゃめちゃに努力もしてる影山と、未知の部分も多いけれども1個誰の目にも明らかな最上級に凄い手段を持っていて、その繰り出し方、使い方に関して訓練中のリエーフ。それがたった今、このネット際の勝負では影山に軍配が上がる。



そして研磨が動く!勝負事を楽しむためには強さが要る。それはゲームを楽しんでいる研磨にもきっと同じことで、楽しいゲームをもっと楽しくするためには研磨も強くならなきゃいけない。「あんな頑張ってる奴」とそうじゃない奴とが同じ土俵で平等に戦うのがこの春高で、研磨の言葉には「自分なんかが」という申し訳なさとかがあるわけではなくてただもう現実として、自分は「あんな頑張ってる奴」ではないしあいつに負けてる負けてないとかって視点は持ち込み得ない、でもこの試合に勝つために研磨も強くなる。それぞれの競技への取り組み方や態度や考え方は関係なく、そしてそこに優劣もなく、ただ「バレーが強いのはどちらか?」という非常にシンプルな問いへの答えを明らかにするのが「試合」。ちょ〜当たり前のことではあるけど、その試合で得られる勝ち負けという結果が誰に対しても常に平等であるからこそ、強い方を決めるという目的に対して「試合」の存在意義がある。


つまりは、3年生の引退やチームの集大成といったことに関心がなくて、「頑張ってるか」どうか?バレーが好きかどうか?っていうことについても、いや別に、と言えてしまう研磨という子が、主人公日向の正ライバルとして配置され、そして今戦っているのって、この高校バレーの「試合」においてもうめちゃくちゃ究極に平等だなということ。ただただ本当に、強い方が勝つだけ。どっちがバレー強いのか、それを決めたいってただそれだけでこの試合をずっとやりたかった、2人とも。そしてそれは試合でしか決めることができないし、試合の勝敗という結果は絶対に、絶対。バレーへの愛も努力も思いも関係なくただ勝った方が強い。研磨が主人公日向の正ライバルとして配置されたことでそのあたりがすっごくシンプルに浮かび上がってくるのかな、と思う。読者にとっても作中の人物たちにとっても思い入れのある、濃い物語の存在するこの試合で、主人公とライバルが見てるものは本当にすっごくシンプルな、「試合」の本質の部分、っていうのがめちゃくちゃ面白い、大好き。



研磨が動いた、は「あの研磨が」ってことではあるんだけど、研磨自身もそういう自分について気付いていて、無我夢中で努力し成長・進化するというような、他のキャラが当たり前に共有してるラインにギリギリ乗ってない感じがすごく研磨でいいなあと思う。何ていうのかなあ、「研磨も実はバレーが大好きで、無意識に相手に引っ張られて頑張ることができちゃいました、夢中になってのめり込んだりするようになりました、感動」みたいなところに安易に落ち着かないところがめっちゃ好きなんだ。「できそうのライン」という言い方で自分について冷静に分析していることから、研磨は更新する自分・更新される自分をも常に俯瞰してる、ようなところ。早流川戦最後の研磨も、音駒の子たちと記憶の中の日向に引っ張られたことで「できそう」のラインが「更新」されたゆえのあのプレーだったのかな。あの時は「皆頑張ってレシーブ上げてるからおれもちゃんとしないとみたいな…?」とニンゲンの文脈で喋っていたけど、今回の「すごく凄いものを見るとできそうのラインが更新される」ともちょっと重なるのかも。



烏野がでっかくなってきたように、当然音駒もでっかくなったし、なる。できそうのラインが更新されたと分析する研磨を見て、何かを思ったらしい黒尾の表情が印象的。黒尾が研磨に対して望み「たい」ことが何かあるんだろうな、というのは早流川戦あたりからだいぶハッキリ描かれるようになってきた気がする。



烏野vs音駒第1セットももう終盤、こんなに毎週盛り上がってるのに研磨黒尾まわりのことはまだ描かれてないからね…すごいよ。この試合で見たいものが本当にたくさんありすぎる。先生の描きたいものが全て読めますように!