ハイキュー‼︎第293話「約束の地」

ついについにゴミ捨て場の決戦。回想は中学時代の猫又監督と烏養監督。烏養監督は本当にコーチと瓜二つだなあ…じいちゃんは自分そっくりの孫なんて絶対嬉しいしかわいいよね〜。


ハイキューの時間軸では今2013年なので、1960年くらいになるのかな。屋外で、ボールは白くて、1セットは15点まで。猫又監督は宮城にいたんだなあ。監督の中学は長虫南で、スガさんの中学に近かったりするのかな。猫又監督は白水館。これもハイキューでは(高校だけど)たまに出てくる名前で、擬似ユースにリベロで呼ばれた子が白水館高校の選手であったり、初戦で白鳥沢に負けていたり、烏野3年生が1年生の頃に当たって負けていたり。昔からずっとそれなりに強いところなのかも?


中学時代の猫又監督、「君のお陰で俺の評価が上がった」すっっごい嫌味だな!笑 逆に気持ちいいくらいだ… この言葉で烏養監督に火がつき、今まで続く長い物語が始まることになるんだね。


今では最先端のバレーボールの知識を持って実践している烏養監督が、中学時代は猫又監督に「力押しなんて古い」「アタマ使わないと」と言われてるのぐっとくるね。猫又に勝てない、負かしたい、って工夫を凝らしてやってきた結果が今の監督のスタイルにつながっているのかなぁ。バレーボールの歴史に詳しいわけじゃないからアレだけど、猫又監督は「力押しは古い」とこの時言っているけど、もしかしたら世間的にそういう風潮があったわけではないのかも…?と思う。現代のバレーでさえ「力押し」を完全に過去にはしてないのかなあ、と思う時があるから。


「東京 遠く はるか遠くに感じた」があまりにもいい。なんだろこれ、めちゃくちゃ好きだ… 言葉にできない。


高校2年。初めての「全国大会」。いるかも分からない、どこに行ったかもわからない猫又監督を見つけ出す烏養監督。ちらっと出た当時のトーナメントには今年の大会に出場してる学校の名前もいくつかあって、こういうのなんだかいいよなぁと思った。昔からずっとずっと強い学校なんだろうなぁ。の後の、「負けた側から」いつか必ず…の宣言、なんなんだよこれ〜〜!違うチームの2人が、静かなこの場所にぽつんと2人きりで、少し間を空けて座って、いつか必ず、と会話にもなってないようなやりとりをする。


しかし「いつか」は実現しないまま選手としての現役時代を終え、彼らはそれぞれ母校のコーチに。少し形を変えて物語はまた進む。「いつか負かす」「受けて立つ」とそればっかり、それしかぶつけられなかった2人が大人になって一緒にお酒を飲んで、多分いろんな話をする。「今年こそは」と握手をする両監督の手がしわしわで、それが妙にあったかくてどこか寂しい。2人の引退とともに、きっと物語は一度ここで終わりかける。


「次こそ負かす」と始まったこの物語の主人公2人は最後まで「次こそ」と握手を交わして、そうして両監督の引退を機に、一度物語は終わりを迎えようとする。しかし5年後、物語を再び動かした人がいた。で、ここにサブタイトルが入る……この流れがもうたまらない!


そして物語は現在に繋がっていく。「烏野と戦うことを目標に全国に来たわけじゃない」と前置きしながら、「この試合を楽しみにしてる人が多いだけだ 俺も含めてな」と猫又監督は言う。このへんのバランスがあまりにも好み。


3日目は2試合あって、そのうちの1試合。側から見れば「ただの」3回戦の一試合。きっとこの体育館にいる観客の多くはこの試合に特別注目をしているわけでもないし思い入れもなく、多くの人にとっては何でもない一試合。だけどこの物語を知る人やその中にいる人にとってはほんのちょっとだけ特別。その中にモミアゲのおっちゃんがいるのを見つけてもうめちゃくちゃに泣いてしまったよ〜。昨日の結果を見て急いで東京までやって来たのかな、ただの3回戦のこの試合が見たいってただそれだけで。


そして烏養監督。ここでまためちゃくちゃ泣いてしまう。子どもやおじさんや若い男性、ナースさん。普通に生きていたらこの試合に何の関わりもない人たち。試合を見ることすらなかったんだろうな。


黒尾のいででででがめちゃくちゃかわいい。そして両校選手紹介。これ楽しいな。そして「俺の孫。」があまりにもかわいい。孫大好きじゃん!笑 面と向かってはなかなか言わないくせに、本人のいないところで自慢して嬉しそうにしてるの、も〜〜めちゃくちゃかわいくてかわいくてなぜか泣きそうになっちゃう。監督の病状の話が稲荷崎戦の前に出てきたのが今までわりと不思議に思っていたんだけど、こう繋がるのかっていうのが、「血」と「繋げ」。これは今の選手らの戦いであって監督らの勝負の代理なんかではない。だから監督はきっとこの体育館にはいないんだよね。この試合は当時の監督たちの勝負に決着をつけるものでは決してないけれど、やはり物語は繋がっていて、ルーツのひとつ(重要なひとつ)はやはり当時の監督らの縁であり人生である、というのが「血」と「繋げ」に繋がっていく。しかもこれが音駒を象徴するふたつの言葉だっていうのがあまりにも綺麗すぎる。すごい。


猫背なそいつは静かに見ている。可か不可かは「わかんない」。こっちも確実に監督から研磨へと継承されているものがあるんだよねえ。ついについにゴミ捨て場の決戦。嘘みたいだなあ…本当に始まるんだね。とにかくもう楽しみしかない!