ハイキュー‼︎第290話「バケモンたちの宴」

ハイキュー6周年!おめでとうございます!毎度のことながら表紙がめちゃくちゃかっこよくて、ボールを打つ瞬間の日向の迫力がすごい。顔にピントが合っていて、前に出している手がぼやけている感じが好き。

先週の「はやさによって相手を苦しめていると同時に味方の首をも締めている」烏野コートの状態から日向のゆっくりと高いレシーブによって味方に余裕を、という流れが、今週のカラー1p目では、その裏返しとして「味方に余裕を作る事は相手にも同じ事」とモノローグが付いている。そうなんだよね。漫画的な盛り上がりという意味でも、「はやさ」にぐんぐん引っ張られていた烏野コートに呼吸をさせる日向のあのパスは「味方を救った」一本のように思えるんだけど、だからといってそれが即ち勝利、となるわけではなくて、味方の体勢を整えると同時に相手もスタート位置に着かせて、まさに「真っ向勝負」へ引き戻した一本なんだよね。あの日向のパスがこの場面、烏野にだけ大きくアドバンテージを与えたわけではなくて、稲荷崎にも体勢を整える余裕を与えてしまう、それでいい、「問題無い」と続くのがいい。

見開きカラー。これめちゃくちゃすごい!ちょっと今までにない感じ。縦?横?上?下?奥?みたいなすごい構図。何でこんなのが描けるんだろう…神社のモチーフとゴミ捨て場のモチーフがごちゃ混ぜになってるのすごいよね。選手たちも、烏野稲荷崎ごちゃ混ぜで描かれてて、タイトルを見ると「バケモンたちの宴」で、なんとなく納得。


原画展のキービジュアル。烏野は選手全員いて嬉しいなー。木兎さんが大きい!若利くんと対になってるのいいな〜。


本編。シンクロ攻撃、上がったのは、やっぱり田中!それでも大耳が止める。ここのバランスが好きだな〜。田中はこの試合、超インナーを決めて、そしてそれを利用して「キワキワラインショット」も成功させているわけだけど、その全てが点に繋がっているわけではなくて、大耳もかなり止めて来てる。特別言及されるわけじゃなくても、いいブロッカーなんだろうなと思えるし、試合の勝ち負けと個人の勝ち負けがある程度独立しているというか、試合に勝ってもあのブロッカーには勝ちきれなかったとか、相手スパイカーの思う通りに打たせないということはできたけど試合には負けてしまった、というようなことがあるのがチームスポーツは面白い。角名がすごくいい顔をして喜んでいるというか興奮しているのも大耳の凄さをすごく表現してる。

コートに落ちそうなボールを影山が片手でなんとか繋ぐが……というところで、月島が追う。月島が必死にボールを追って懸命に腕を伸ばしているの、すごいな、泣いちゃう。長ーい腕を伸ばして、そして指先が触れ、ボールは落ちる…と思ったところで、大地さんの綺麗なフライングレシーブ。この組んだ手とボールの絵があまりにも綺麗。ペナルティの「フライング一周〜!」が癖になっていて、練習試合に勝っても間違って号令を掛けてしまう大地さん。「いつも最後の一点だと思って練習をする」とか「練習でできないことは本番でもできない」っていうような言葉の意味がよく分かる。書き文字の「わあああ」っていう観客の歓声が本当に聞こえるみたいに感じる。

赤木が上げ、稲荷崎。試合の最初の方には、気付くと熱くなっている自分について「どちらかといえば知っている方を推してるだけ」と、何も言っていない京谷に一方的に言い訳をしていた矢巾だけど、この場面ではすっかり入り込んでしまって体裁など構わず「戻れ 戻れ 速く‼︎!」と熱くなっている。それを隠しもしないし、何ならそういう自分に気付いてすらいない。いいなあ。こういう矢巾の描き方も唐突に出てきたわけではなくて、春高予選の京谷に対する熱さの延長上にあるものだし、宮城の学校の新主将の子たちの中でも矢巾がこの役割を担うのってめちゃくちゃ分かる。隣で身を乗り出して試合を観る渡もいい。

そしてこの場面、稲荷崎が選んだ攻撃。「双子速攻 マイナス・テンポ "背"」。烏野が勝つと確信してこの試合を読み続けていたけど、あまりの絵と演出の強さに、正直この試合で初めて、ほんとの本気で「もしかするのかもしれない」「稲荷崎が勝つのかもしれない」って、烏野の勝利への疑念が生まれた。本当にそのくらいのインパクトだった。そしてページをめくる。日向と影山がブロックに跳び、「2人の」手に確かに当たったボールは、北くんの瞳の中で稲荷崎コート後方へ落ちる。笛が鳴る。試合、終了。

も〜〜めちゃめちゃに泣いてしまった。第1セットで日向と影山の速攻を真似して見せた侑・治の「双子速攻」の衝撃は凄まじく、特に日向は揺らいだこともあったけど、月島に対応させたり、日向の治へのコミットという形で烏野は何とか対処してきた。そして第3セットでは、治前衛の時に繰り出される双子速攻に対して月島を多くマッチアップさせるローテーションによって対応してきて、そしてこの場面、双子がやってきたのは、予想外の「"背"」。烏野が全く想定していなかった早いバックアタック(「あってもハッタリみたいなやつ」は280話の「"裏"」かな?)。それまで双子速攻に対応していた月島は後衛に下がり、今は日向と影山が唯一一緒にブロックに跳ぶことのできるローテーション。そういうひとつひとつの要素が組み合わさって、結果として、この日向と影山のブロックはきっと必然だった。この試合中に双子が変人速攻を真似してやろうってやり続ける限り、きっとどこかのタイミングで必ず、こうして止められることになっていたんじゃないかな。それくらいに説得力のある、理屈の通った2人のブロックだった。それは月島の独白が全てだと思う。

この試合で語られたように、月島は初めて変人速攻を食らった人物であるし、それからずっと、近くでその変人速攻の限界・進化・強さを見てきた。そういう変人速攻の「過程」をチームメイトとして知っていて、変人速攻に対面した時の凄さも怖さもブロッカーとして知っている。日向や影山にとって変人速攻がどんなものであるか、自分にとって変人速攻がどういうものであるか、知っている。ブロッカーとして・チームメイトとして・変人速攻にとって初めての「ネットの向こうの人物」として、月島がこう独白する役目を担う必然性っていうのも、やっぱりある。いろんな立場から多角的に変人速攻を見て、何かしらの思いを抱いていて、それでもやっぱりとことんに中立。月島の声帯を借りたナレーションの言葉ではなくて、やっぱり月島の言葉なんだよね。

そしてそんな月島の冷静で中立なまなざしが、なんだかどことなく優しく感じられて、めちゃくちゃに泣いてしまう。これは月島の心の中の言葉で、2人を褒めるための言葉とかではない。だから月島の本心で、素直な言葉なんだけど、そこかしこに月島の日向と影山、変人速攻に対する敬意とか憧れ(というと少しニュアンスが違っちゃうかなあ)を感じるんだよね。だって「格好良い」って言ってるんだもんなあ。

はやい攻撃に苦い記憶を持っていた影山と、レシーブもスパイクの技術も持ってないけれどとびきりの早さと高さを武器に持っていた日向。2人が出会って、日向は当初技術的な面で影山に大きく依存することになりながらも自分の武器を生かすことのできる「速攻」をアイデンティティにコートに立っていた。それでも、物語の初期から既に、変人速攻は完全無敵の必殺技なんかではなかった。変人速攻は止められ、負けた。そこから途方もない努力の末に2人は変人速攻を進化させ、磨き、工夫をする(例えば「まぎれる」のような)。あの日の負けがあったから、2人は変人速攻が無敵のものじゃないと知っているし、だからこそ、今日も技術を磨く。工夫をする。そしてそれでもなお(いくら磨いても、工夫をしても)やはり無敵なんかではない。それを誰より知っているから、今日、双子を止めた。そのロジックが本当に誠実で、綺麗で、そしてめちゃくちゃに面白い。

「どんぴしゃり」からの見開き、8巻を読み返して、想像以上に「同じ」で、びっくりした。コンセプトのよく似た、同じ挑戦者の「稲荷崎」相手に、両校とも攻めに攻めた試合を展開してきて、最後、明確に「負けたあの試合」に重なっていく、稲荷崎と共に「負けたあの試合」の自分たちをも倒して終わる。ほんのちょっとだけ切なくて、でもめちゃくちゃに爽やかで気持ちがいい。

「あの試合」の日向・影山と今回の双子で違うところかなと思うのは、侑はこの時きっと他のスパイカーも選べたし、治の他の攻撃も選択肢にはあった。選択肢は「"背"」のひとつというわけでは決してないと思う。勝算もあっただろう。この場面で初めてこれにチャレンジする度胸も、それを成功させる強さもあった。ただ「本家」はそれでもなお負けた経験があった、変人速攻の強さや魅力を知っている分だけそれを扱う怖さも知っていた。そのことはきっと双子にとって誤算だったんじゃないかな。…とか色々と思うけど、やっぱり「燥ぎすぎたなあ」という言葉が1番しっくりくる。昨日を全部養分にして、今日何か挑戦する、そういう戦い方をしてきた稲荷崎だからこそ2位まで上り詰めた。そのコンセプトを譲らなかったからこそ勝ってきた。それはきっと負けの理由とも裏表で、やっぱり「燥ぎすぎた」という一言に尽きる。楽しそうだったもんなあ。個人的には、治の燥ぎすぎたなあという言葉の前後の侑の「…」が気になっている。侑と影山、それぞれ目指すセッター像は異なっていて、言うまでもないことだけど、当然それでいい。それがいい。それでも、回想で描かれた侑のチームメイトへの接し方、態度には何かこの先があるんじゃないかと思うし、あってほしいなと思う。影山が、侑の「おりこうさん」をきっかけのひとつとして今に至ったように、侑にとっても、烏野戦で見たものが、何かきっかけになるようなことがあったらいいなと思ってしまう。

「バケモンたちの宴」の終わりは、なんだか少し寂しくて切なくて、なぜだか可笑しくて、清々しい。バケモンたちの宴は、北くんの瞳の中で終わる。


またひとつ、春が終わってしまった〜〜。北くん、アランくん、大耳くん、赤木くん。特別派手な演出やストーリーでその活躍を語られた選手ばかりではないのかもしれないけど、この4人の全員が、「思い出なんかいらん」というコンセプトと、そのど真ん中を走っていく2年たちを、コンセプトの内側からも外側からも支えていたことが、具体的なプレーと共に思い出される。それがすごい。後輩たちはそういう3年生に感謝してほしいとか、惜しんでほしいとか、そういうことではなくて、ただただ事実として、自分たちが突き進んでいた(突き進んでいく)コンセプトを内から外から支えていた3年生たちは明日からいない、そういう変化は確実にあるということ、明日の自分たちが持っているもの持っていないものに向き合ってまた新たに走り出すんだということ、そうやって繋がっていること繋げていくことって部活そのものだよな、となんだかじーんとしてしまう。

稲荷崎戦、本当に面白かった。春から、いやもっと前、3年生の入部から(あるいはもっと前、黒川くんや田代くんの時代から、小さな巨人の時代から……)積み重ねられた全てのことが今、烏野の力になってる…って言葉にするとどうもフワフワしてしまうのが悔しいなあ。これまで、ひとつひとつのエピソード、プレーを丁寧に描いてきて、それが読者に共有されているからこそ、そのひとつの集大成のようであったこの試合がこんなに面白かった。そしてその中でも、北くんの回から先の話には更に、ぐっと引き込まれたような感覚がある。あの回だけじゃなかったよね。北くんの話は、1話としての存在感以上に、この試合にとって大きかったなって思う。敵味方両方に降りそそぐブーイングや、「思い出なんかいらん」という強い言葉を横断幕に掲げること(内側で共有されている意味はまた別として)、稲荷崎って、あくまで教育の一環の「部活」としてはギリギリかもしれないと思うことがやっぱりあった。そのことがいいとか悪いとかではなくて、感覚として。その中で、自分たちの掲げるコンセプトを好きやないと素直に言う選手がいて、その選手はコンセプトのど真ん中ではない、端の方か外側にある強さを練習の積み重ね、努力の継続によって掴み取って、監督もまたそれをしっかり見ていたし、そういう子を主将として据えた。うまく言えないけど、それがすっごくよかったなと思う。そのことにすごく安心していたし、どこか嬉しかった。

北くん、何て言うかなあ。どんな顔をするかな。ひとまずはそれが楽しみ。怖さとか、見たくないかもっていう気持ちはない。自分の中で不思議な感覚だなと思ったのは、烏野vs稲荷崎、もう1回見たいな、もう1回試合してほしいなって、これまで青城戦でも白鳥沢戦でも考えたことのないことを思ったこと。多分、「バケモンたちの宴」ってネットのあっちもこっちもひっくるめて表現したこの言葉が気に入ってるんだと思う。そしてそれは叶わない。だからこそ、ですね。

ゴミ捨て場の決戦、始まってしまうんだね(梟谷か新山女子か、どこかしらの試合がまた描かれるかと思いますが)。いつか来るいつか来ると思ってはいたけれど、本当に来るとは、という不思議な感じ。


烏野高校、おめでとう。

そして稲荷崎高校、お疲れ様でした。